森林セラピー必須プログラムの一つ「森林安息」。

 どれほどの森林セラピスト・森林セラピーガイドが自信を持って「森林安息」をお客様に提供しているのだろうか?

 森林セラピー検定副読本(問題例付)ヘルスケア編の第5章プログラムメニュー作成、1.必須プログラム、1.森林セラピーの目的、①森林安息では「森田療法の第一期は臥褥(がじょく)療法」との解説から始まっている。

 「何もせずただ横になる」

 リラクセーション、腹式呼吸、瞑想、気功、ヨガYOGAは「森林安息」ではない。「何もせずただ横になる」のが森林安息。

 第2回森林セラピー検定・森林セラピスト資格二次試験では森林安息の実習がなかった。厚木会場では室内での腹式呼吸の実習。「腹式呼吸=森林安息」と勘違いした森林セラピストが多いのかと思う。

 森田療法の第一期・絶対臥褥期は、個室で一週間ほど「何もせずただ横になる」。

 森林安息は、森で数十分ほど「何もせずただ横になる」

 ねらいも感覚も効果も全く違う。

 なぜ?森林安息が森林セラピーの必須プログラムになったのか?

 「森林にあるがままに身をゆだね…、日常生活のしがらみを断ち切り、身体感覚を存分に味わうことを目的」。

 絶対臥褥期は「身体感覚を存分に味わうことを目的」にしているのだろうか?

 なぜ?森田療法を持ち出す必要があるのだろうか?

 森田療法の「あるがまま」と、森林の「あるがまま」は同じものなのだろうか?

 山中慎一朗は、2006年に「ひとり観(み)」を森林セラピーの必須プログラムとした。「何もせずにただ森にたたずむ」。これは森林セラピー実験の「座観」から生まれた発想。体感したお客様から予想以上の反響があり、森の中で「何もしない」事がどれほど凄いことなのか実感した。

 2011年、森林セラピスト・森林セラピーガイドはお客様に「森林安息」をプレゼントしているのだろうか?森林安息に導くテクニックの未熟さ、理解度の未熟さ、「何かしてあげなくてはいけない」といった心の未熟さを強く感じる。

 先ずは森林セラピスト・森林セラピーガイド自身が森林安息を体感して、「何もしない」凄さを実感すべきかと。

 森林の「あるがまま」を感受すべきかと。