1982年の朝日新聞紙上で紹介された「森林浴」から始まる。「人間と森林等の自然環境間の同調(シンクロ状態)による快適性増進効果を目指す行為」との定義。秋山智英元林野庁長官による造語。

 2003年に「森林セラピー」という言葉が作られた。「アロマセラピー」に準じた造語。

 その前に「セラピー」を日本語表記とする「森林療法」が東京農業大学准教授上原巌氏によって提唱される。
 2002年4月に第1回森林療法研究会が開かれ、森林療法研究会が立ち上がった。東海女子大学講師だった上原巌氏の主導。2007年秋にNPO法人日本森林療法協会となったが、2009年3月の理事会を発端に、理事長の上原巌氏、その他8名が辞任・退会となり、赤坂溜池クリニックが主催する「森林養生プログラム」の新体制NPO法人日本森林療法協会となる。
 上原巌氏は2009年6月「みんなの森」ブログを立ち上げ活動状況を掲載。2010年4月に日本森林保健学会の設立総会が開かれ、7月に特定非営利活動法人となる。

 2004年、林野庁は「森林系環境要素が人の生理的効果に及ぼす影響の解明(農林水産省先端技術を活用した農林水産研究高度化事業)」に着手。
 産学官連携による森林セラピー研究会が発足した。会長には社団法人国土緑化推進機構の副理事長である秋山智英氏が就任。森林浴の生みの親。
 林野庁、厚生労働省、独立行政法人森林総合研究所複数の企業と大学医学部、研究室等が参加し、(社)国土緑化推進機構が事務局となる。

 2005年に森林セラピー実行委員会が、森林セラピー総合プロジェクトを立ち上げて、「森林セラピー基地とセラピーロードの認定」「癒しの森広汎化に向けた普及・広報活動」「森林セラピー推進システムの検討・構築」「森林セラピーにかかわる人材育成制度の検討・構築」の4つの関連プロジェクトを始動。基地・ロード認定審査委員会、森林セラピー・ステアリングコミッティ(評議委員会)による基地・ロード認定が始まる。認定実験は(独)森林総合研究所が主導。事務局は(社)国土緑化推進機構。
 森林セラピー基地全国ネットワーク会議が設立。森林セラピー基地・森林セラピーロードの候補地が参加。事務局は(社)国土緑化推進機構。

 2006年3月に最初の森林セラピー基地・森林セラピーロードが認定される。

 2007年、森林セラピー基地全国ネットワーク会議がホームページ森林セラピー®ポータルを開設。事務局である(社)国土緑化推進機構が主導。

 2008年、森林セラピー研究会はNPO法人森林セラピーソサエティとなる。医師・登山家の今井通子氏が理事長に就く。
 基地・ロード認定審査委員会、森林セラピー・ステアリングコミッティ(評議委員会)、森林セラピー基地全国ネットワーク会議、日本衛生学会森林医学研究会(2007年発足)、林野庁がまわりを取り囲む。これまで全ての森林セラピーの事務局であった(社)国土緑化推進機構から手が離れ、(特)森林セラピーソサエティが森林セラピーの事務局となる。森林医学研究部会、森林セラピスト資格・認定検討委員会が内部に作られるが、基地・ロード認定実験は(独)森林総合研究所が継続して主導。新体制が森林セラピー総合プロジェクトを引き継ぐ。

 2009年6月、(特)森林セラピーソサエティによる森林セラピー検定が始まる。
 2010年1月、森林セラピスト、森林セラピーガイドが誕生する。

 この間に2007年5月、緑資源機構談合事件。現職国務大臣である松岡利勝農林水産大臣が自殺。6月に独立行政法人整理合理化計画を策定と、大きな動きがあった。

 森林セラピー®森林セラピスト®(森林健康指導士)養成・検定テキストの編集者、平野秀樹氏・農水省中部森林管理局長(現在は(独)森林総合研究所)、宮崎良文氏・千葉大学環境健康フィールド科学センター教授(以前は(独)森林総合研究所)、香川隆英氏・(独)森林総合研究所環境計画研究室長の三名が、秋田智英元林野庁長官が提唱した森林浴を継承したのかと、山中慎一朗は想像する。

 宗教とかスピリチュアルとか、とっても怪しい感が持たれる森林セラピーは、林野庁から始まり、(独)森林総合研究所、(社)国土緑化推進機構、医師・登山家の今井通子氏と、とってもお堅い歴史からなっている。別な意味の怪しい感が。

 森林セラピーの概要は科学。