森林セラピー必須プログラムの一つ「森林散歩」。

森林散歩は、ほとんどの森林セラピーロードで行われている。歩かなくても良い森はない。

日本人の散歩のイメージは、犬の散歩?

犬のための散歩なのか?人のために散歩なのか?

犬を連れてぶらぶらと歩く。犬がいなければ手ぶらでぶらぶらと歩く。これがなかなかできない。人によっては不審者かと思われる時代。

多くの人が様々な重荷を背負って歩く人生。手ぶらで散歩できる時代は来るのだろうか?

そんな夢のような散歩が森林セラピーでできたら。

「森林散歩」

山中慎一朗は手ぶらの森林散歩をすすめている。

人は手ぶらで歩き始める。いつの間にかいろいろな荷を背負い、重荷となりストレスと感じる。森林セラピーぐらい手ぶらでストレスのない散歩をしたい。

重いザックを背負い登山をする人は、手ぶらの解放感に歓喜する。

何か持っていないと不安がる人もいる。重症患者と呼んでいる。

もちろん森の中を歩くのだから心配だろう。「手ぶらで森を歩くなんて危険だ」という声も聞こえる。

歩いて数分でエスケイプ避難できる森林散歩。これが本物の森林散歩、森林セラピーの必須プログラムなのかと。

森林セラピー検定副読本(問題例付)ヘルスケア編の第5章プログラムメニュー作成、1.必須プログラム、1.森林セラピーの目的、②森林散歩では、表2森林散歩の段階付けとして、静的から動的に、散歩→ハイキング→山菜採り→トレッキング→沢登りとなっている。

森林セラピーはなんでもあり。

2007年認定の北海道初の幻の森林セラピー基地「山﨑山林」では「ひとり歩き」を必須プログラムとしている。

手ぶらで独りで森を歩く。

貸し切りの森で、沼を巡る数kmの周回路を歩く。森林セラピー実験の「歩行実験」そのもの。森を歩きなれていない初級のお客様にも大好評。

森林セラピスト・森林セラピーガイドの中でどれほどの人が独りで森を歩けるのだろうか?
 森林セラピー必須プログラムの一つ「森林安息」。

 どれほどの森林セラピスト・森林セラピーガイドが自信を持って「森林安息」をお客様に提供しているのだろうか?

 森林セラピー検定副読本(問題例付)ヘルスケア編の第5章プログラムメニュー作成、1.必須プログラム、1.森林セラピーの目的、①森林安息では「森田療法の第一期は臥褥(がじょく)療法」との解説から始まっている。

 「何もせずただ横になる」

 リラクセーション、腹式呼吸、瞑想、気功、ヨガYOGAは「森林安息」ではない。「何もせずただ横になる」のが森林安息。

 第2回森林セラピー検定・森林セラピスト資格二次試験では森林安息の実習がなかった。厚木会場では室内での腹式呼吸の実習。「腹式呼吸=森林安息」と勘違いした森林セラピストが多いのかと思う。

 森田療法の第一期・絶対臥褥期は、個室で一週間ほど「何もせずただ横になる」。

 森林安息は、森で数十分ほど「何もせずただ横になる」

 ねらいも感覚も効果も全く違う。

 なぜ?森林安息が森林セラピーの必須プログラムになったのか?

 「森林にあるがままに身をゆだね…、日常生活のしがらみを断ち切り、身体感覚を存分に味わうことを目的」。

 絶対臥褥期は「身体感覚を存分に味わうことを目的」にしているのだろうか?

 なぜ?森田療法を持ち出す必要があるのだろうか?

 森田療法の「あるがまま」と、森林の「あるがまま」は同じものなのだろうか?

 山中慎一朗は、2006年に「ひとり観(み)」を森林セラピーの必須プログラムとした。「何もせずにただ森にたたずむ」。これは森林セラピー実験の「座観」から生まれた発想。体感したお客様から予想以上の反響があり、森の中で「何もしない」事がどれほど凄いことなのか実感した。

 2011年、森林セラピスト・森林セラピーガイドはお客様に「森林安息」をプレゼントしているのだろうか?森林安息に導くテクニックの未熟さ、理解度の未熟さ、「何かしてあげなくてはいけない」といった心の未熟さを強く感じる。

 先ずは森林セラピスト・森林セラピーガイド自身が森林安息を体感して、「何もしない」凄さを実感すべきかと。

 森林の「あるがまま」を感受すべきかと。
 森林セラピーは、森林セラピーロードでの森林セラピスト・森林セラピーガイドによる必須プログラム「森林安息」「森林散歩」となる。

 森林セラピー認定地で必須プログラムが森林セラピストもしくは森林セラピーガイドによって提供されているのか?というと、現状はそうでもない。

 未だにローカル認定ガイドの勢力が強く、本物の森林セラピーが提供されていないのが現状である。地元ガイドによる地元自慢の観光散策が森林セラピーの主流となっている。

 森林療法の生みの親である東京農業大学の上原巌教授も森林セラピー観光散策に苦言を呈している。ご当地自慢ではない森林療法、森林セラピーがこれからの主流になるだろう。

 厚生労働省からも「補完代替療法としての森林セラピー」のリクエストが強い。

 森林セラピーのバラつきを生んでいるご当地ガイドの意識が変わればフィールド自慢に頼ることのない森林セラピーが確立する。
 森林セラピーのフィールド認定を進めてきた自治体は気付いていても、地元有識者の意見を無視することはできない。

 森林セラピーなのか?森林セラピーロードでのアクティビティ(選択プログラム)なのか?森林療法なのか?
 それぞれのスペシャリストが提供しているプログラムは、どれも楽しめる。
 ローカル認定ガイドは森林セラピーロード・アクティビティの素晴らしきプレゼンターである。

 しかし、森林セラピーの確立がなければ森林セラピーは他のものと移り変わるだろう。登録商標である森林セラピーが森林セラピーとなるには、森林セラピスト・森林セラピーガイドの大きな力が必須となる。

 森林セラピスト・森林セラピーガイドが、いつどこの森でも提供できる森林セラピー。

 健康保険に適用されていない補完代替療法の温泉療法・アロマテラピー・ヨガYOGA・気功のように、フィールドを選ばない「自然療法の森林セラピー」を森林セラピスト・森林セラピーガイドが提供する必要がある。

 それは必須プログラムの「森林安息」と「森林散歩」だけと山中慎一朗は信じている。

 森林セラピーは観光、地域おこしの集客につながるような代物ではない。集客につながっている森林セラピーは観光と地域おこしによるもの。