ドイツ滞在四日目の朝、雄司とウヒョンと合流するため僕はHauptwacheに向かった。

約束の時間よりもだいぶ早めにHauptwacheに着いたので、僕は駅のすぐ近くにあるマクドナルドに入りコーヒーを飲んだ。

生まれてはじめて飛行機に乗り、フィンランドに行った時はKIOSKIで買い物をするのことにすら恐れ戦いていた僕であるが、なんだか異国の地で買い物をすることにだいぶ慣れてきたような気がする。

雄司とうひょんは約束の時間通りにHauptwacheにやって来た。

この男たちは時間を守るということには定評があるのである。

僕等は約束の時間通りに合流し、三人で地下鉄に乗り込むとフランクフルト中央駅に向かった。

この日、僕等はフランクフルトを離れて遠出するのである。

僕たちの最初の行き先はICという新幹線のような列車で、二時間ほど掛かるケルンである。





フランクフルト中央駅に到着し、「さてどこで切符を買うのかな」と、右も左も分からずキョロキョロしていると、ドイツの優しそうなあんちゃんが声を掛けてきた。

「君たちは旅行者?」

「い、いえす」

「英語は話せる」

「少し」

「チケットはあそこで受付番号を発行してから、あのカウンターで並べば買えるよ、良い旅を」

「さんきゅーべりいまっち」

優しいあんちゃんの助言を受けチケットを無事に購入した僕たちは、10時頃、ICに乗り込みケルンに向けて出発した。

ちなみにこの新幹線みたいな電車にはICとICEと二種類のタイプがある。

ICEの方が料金が高く、ICは少しだけ安かった気がするが、大体ケルンまで4000円くらいの料金である。



この日はフランクフルトをはじめて離れ、遠くへ行くということでなんだか朝からウキウキと気分が高揚していた。

うひょんは電車を待ちながら、駅構内の風景をみつめ、

「これカリートの道でちゅかった駅じゃないの」

と、またもやブライアン・デ・パルマ大先生の傑作に思いをよせている様子であった。

電車に乗り込んだ僕たちはボックス席に座り、車窓から見える景色や会話を楽しみな、この日の予定などを話し合いながら時間をつぶした。



フランクフルトは都市としても美しい町だと思うが、都市から離れたドイツの田舎の風景はまるで絵画のような美しさであった。

ヨーロッパの鉄道の旅というものがこんなに素晴らしいものであったなら、フィンランドでも少し遠くへ行けばよかったのかなあ、と思ったりした。(しかし、あの時期のフィンランドはヘルシンキより北へ向かってもほとんどの施設は閉館しているし、オーロラが出現するような極寒のはずであり、僕等にはその準備も時間もなかった)

車窓から見える景色はやがて巨大な川をうつしだした。

ライン川である。



                             ※写真はイメージ

ライン川は

「ライン川だ!!」

と思わず声をだしてしまうほど雄大であり、おだやかな流れの美しい川である。

川の両端には町が点在し、ところどころに古城がその姿を聳え立たせている。

弟の雄司はホームステイ先のホストであるギュンターさんに、

「ドイツはフランクフルトもいいが田舎を見るべきだ」

と、言われたそうである。

ライン川沿いの景色は、まさに見るに価する美しい風景がどこまでも永遠と続いていた。



                             ※写真はイメージ

あの町にはいったいどんな人たちが住んでいて、どんな生活を営んでいるのだろう、とぼくは点在する町をみながらそんなことを考えた。

あとでマーティンさんの奥さんに聞いた話なのだが、ライン川沿いの街は夏になるとその町ごとにお祭りが開かれ、美しくライトアップされるそうである。

人々が歌い、踊り、一夜の祭りを祝う。

それは考えただけでも素敵な風景だ。

ちなみに僕はそんな話を聞くのがとても好きなのだ。

人々のしっかりした生活の営みに想像をはせるだけでも、なんだか感動してなみだが出てくるのである。(阿呆かこいつといわれてもそうなのだから仕方がない)

「素晴らしい景色だな」

「すごいねドイチュは」

「ライン川クルーズ行きたいなあ、最高だべなー、この川をくだるのは」

しかし、僕等の今回の旅の日程では流石にライン川クルーズを強行することはできない。

観光魂が燃えさかっている僕等でもさすがに、ライン川くだりはあきらめ、またの機会にという話で落ち着いたのであった。

電車に揺られ1時間半から二時間、僕たちはケルンに近づいていた。

途中、やはり非常に特徴的なつくりの教会が目立つ町で電車は停車した。

アナウンスは「Bonn」と告げている。

弟の雄司は感動している様子で言った。

「ボンだ」

ケルンの約20キロ南に位置するというボンは統一以前、西ドイツの首都であった町である。

このボンには僕等はケルンに立ち寄ったあとに来ることになるのだが、それには大きな理由がある。

ボンはベートーベンの生誕の地であり、シューマンが晩年を過ごし、終焉を迎えた地なのである。



                             ※写真はイメージ

ちなみに僕もウヒョンもクラシック音楽が好きである。

日常的にクラシック音楽を聴き、インスピレーションを受け、その音楽を心から愛している。

しかし、幼少の頃から音楽を専門的に学び、音楽とともにその数十年の人生を歩み、古典的音楽から絶大なる影響と感動を受けて映画音楽を作曲している音楽監督・渡辺雄司にとって、その思いは僕等の比ではなかったであろう。

彼が内面で受けている筈の大きな感動は、彼の「ボンだ」という言葉からも強く読み取ることができた。

そう考えると、俺たちはいま本当にすごいところに来ているのだなあ、となんだか改めて感動して体が震えるようであった。

僕たちは数時間後にはこのボンに降り立つ。

人類史上最も偉大なる作曲家がその生活を営んだ場所に降り立つ瞬間が、僕はとても楽しみになった。

ボンを過ぎて、列車は広大な田園地帯、どこまでも広がる美しい緑と菜の花の黄色に彩られた風景の中をを通り過ぎる。

本当に美しい絵画を切り取ったような美しい風景である。

しかし、

「なんだか大田原みたいだなあ」

と、うひょんがつぶやいた。

確かにその広大な風景は水田ではないという大きな違いがあるものの、まあ、大田原に似ていないこともないのかなあ・・・ぐらいには感じられるのどかな風景である。



                             ※写真はイメージ

「まあ、田んぼの真ん中になべおさみの看板とか、パチスロとか不動産の看板が無いバージョンとか考えれば似てないこともないかもぐらいはいえるかも」

などと冗談を言いつつ、「おばあちゃんはどうしてるかなあ」と、僕は過ぎ行く景色をみつめながら淡い郷愁にひたった。

田園を通り過ぎ、列車は町に入った。

車窓からこれまで僕がかつてみたことがないほど大きく、美しく、歴史を感じさせる建築物がみえる。

「あれがケルンの大聖堂だ!!」

ケルン大聖堂はゴシック様式の建造物としては世界最大の建造物であり、勿論世界遺産なのであるが、僕たちはその建築の凄さに電車の中から既に息をのんだ。

電車が駅に着く。

駅から出ると凄い賑わいである。

そして駅から出てすぐ目の前に聳え立つケルン大聖堂の威風堂々たるたたずまいは、圧巻としかいいようがないほどの凄さだ。

うひょんも雄司も目を丸くして大聖堂を見ている。

「すごい、マジですごいなこりゃ、ほんとうにすごいよ、すごい、すごすぎる」

と、気の利いた言葉も出てこないほどすごい。

まさに人類の創造的才能を表現する傑作である。

世界の歴史の中には人類的な仕事をする人、した人というのが少なからず存在する。

ドイツでいえば、バッハやベートーベンやシューマンなどの偉大なる作曲家、ゲーテやトーマス・マン、ヘルマン・ヘッセ、ギュンター・グラスもそうだろう。

日本でいえば、例えば僕の敬愛する黒澤明監督は全人類的な仕事を残した偉大なる映画監督であるし、やはり僕の敬愛する大江健三郎氏の作品群を読めば、それがいかに人類的に重要な仕事であり、人類にとっていかに重要なことが書かれているのか分かる。

京都の寺院や町並み、姫路城などは世界に誇ることができる人類的な遺産であるとも思う。

(余談だが僕という人間にもっとも多大なる影響を与えた人間、作品を挙げるとするならば、黒澤明監督、ビートルズ(全員)、大江健三郎氏、加藤周一氏その人であり、その作品群である。この人たちを否定する人たち、批判する人たちと、僕は残念ながらおはなしをすることができない)

人類的な仕事を残した人々の作品に触れると、僕は感動を超越した感動を呼び起こされる。

そして、このケルン大聖堂はまさにそのような人類的な作品であり、僕はあまりの感動の大きさに打ちひしがれ、しばらくのあいだ言葉を失った。



「ケルンに来たのは正解だったね」

「うん」

「正解だったよ」

「うん」

僕たちはその感動が決して伝えることができないであろう記念写真などを撮り、色々な角度から大聖堂を見て周り、その姿を目に焼きつけ、大聖堂の中に入った。



外からのたたずまいも凄いが、大聖堂の中も凄い。

もう言葉を羅列するのが面倒くさいので回りくどい書き方はしないが、兎に角すごい。

僕たちは時間を忘れ、大聖堂の中をみてまわり、再び外へ出るとまた大聖堂をみあげ、しばらくのあいだその圧倒的な美しさに酔いしれた。



「そろそろ行こうか」

と、うひょんが言う。

時間はもうお昼をまわっている。

この日はさらにブリュールとボンをまわらなければならない。

それに明日は「そして泥船はゆく」のドイツ上映があり、今日中にフランクフルトに戻らなければならないというけっこうキツイ日程である。

「メシ食うべ、何がいい」

僕たちは休日の原宿、竹下通りばりに人がごったがえす大聖堂のまわりでレストランを探した。

うひょんが、今日はドイツ料理じゃないものを食べたいと言ったので、この日はイタリア料理のレストランでピザを食べ、ビールを飲んだ。

ビールはケルン地方で伝統的に醸造されているというケルシュである。



ドイツは地方によって様々なビールがあるらしいので、本来なら色んなところに行って、色んなビールを味わう旅というのが、凄く楽しいのだろうけれど、今回の旅はあくまでも観光旅行目的の旅ではないので、もしも純粋に観光目的でドイツに行くことがあったら、そんなワールドエンドばりのビール飲み歩き旅行もしてみたい。(お前等がしてうることは完全に観光旅行だろ、という声もあるが僕の認識では僕はまだ純粋な海外観光というものはしたことがなく、すべて映画祭のついでの観光旅行という認識なのである)

ピザとビールで腹ごしらえした僕たちは、少しだけ大聖堂のまわりを見て周り、電車に乗り込むと、次なる目的地ブリュールに向かって出発した。

このブリュールはマックス・エルンストの故郷であり、モーツァルトが演奏をしたことがあるという世界遺産アウグストゥスブルク城がある、という。

僕たちは、

折角ケルンとボンの間に世界遺産があるというのに、それを素通りしてフランクフルトに戻れるか!!

ということで、ボンに行く前に急遽ブリュールにも立ち寄ることにしたのであるが、実はこれがかなりの強行日程だったらしく、この辺りから僕たちはかなり急ぎ足になってゆく。

しかし、この日程が強行日程だとは夢にも思わぬ僕たちは、ケルシュで良い感じに酔っ払いながら、

「ドイチュはいいところだなあ」

などと電車に揺られ、のどかにその過ぎ行く風景をみつめていたのである。



→ドイツ阿呆紀行 第九回につづく