廃屋 | ネムリノソコ

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おたいらに

はたと気がついたのだけど、
ボクの人生には3つの廃屋が出て来る(今のところ)。


1つ目は父の実家。

ボクが物心ついたころには、父が小さい頃過ごした『母屋』は廃屋になってて、新しく建てた『ハナレ』に叔父さん一家と祖母が住んでいた。
『母屋』はホコリ臭くて、暗くてワンダーランドだった。

父の一番上の姉が小さい頃(戦前)には、『母屋』の土間に小作人さんが米俵を積み上げていたらしい。
大きな廃屋だった。

近所の子供たちは「お化け屋敷」と呼んでいたことを後から知った。

『母屋』は潰されて新しい家が建ち、今はもうない。


2つ目の廃屋は、わが実家だ。

父母が「家出」してマンションに移り住んだので、廃屋になった。
ボクの部屋は、ボクが大阪に出て来たときのままに、ホコリをかぶっていっていた。

最近、父の気まぐれで掃除して再び住めるようにしているらしいが、まだそれは見てない。


3つ目の廃屋は母の実家だ。

これまた大きな家だったが(ツマを初めて連れて帰ったとき、部屋数の多さに迷子になりかけた)、祖父は亡くなり、祖母はグループホームに移り、伯父さん一家はやはり『ハナレ』に住んでいる。
祖父が建てた家だったが、祖父一代のモノで終わるらしい。
ボクは外孫なので、なにも口出しはできない。
思い出と一緒にゆっくりと朽ちていっているのだろう。
悲しくて見に行く気にもならない。


あと、父方の祖父のお兄さんの一家は、娘さんがみんな嫁に出てしまい、最終的にお墓を見る人がいなくなる。

祖父のお兄さんは、ちょっと偉い人だったらしく、お墓がえらいでかい。
墓石も普通のの3倍くらい太い。

だけど、そう遠くない将来、誰もお参りする人がいなくなる。
廃屋みたいなものだ。まだだけど。


建物としての『家』に対するボクの不信感というのがあるのだけど、上のようなことに気がついて、そりゃそうだと合点がいった。
営みのない家に意味はないし、意味は家じゃなくて営みにあるんだと思ってしまう。

『家』がなくなるのは悲しいことだけど、営みがなくなるのはもっと悲しい。

今、ボクが住んでる部屋(賃貸)もいつかなくなる。
それまで大事にして、一生懸命営もうと思う。
だけど、密かな悩みはお墓のことだ。お墓どうしようかなぁ。

あと、脈絡上はおかしいのだけど、廃屋のホコリ臭さは実は好きだ。
なんと言うか落ち着く。
それもこれまでの体験によるものなんだろうけど。


補足1:「一生懸命営む」という言葉が、ちょっとヒワイに響くのは気のせいだろうか?

補足2:父方の実家が『母屋』から『ハナレ』に移り住んだのは、掃除するのが面倒だったからではないかという疑惑がある。
なにせ叔父さんは新しく建てた家でも、掃除するのが面倒で応接間を増築した人だ。極端過ぎる。
こうなると『家』はやどかりの殻くらいの意味しかないんじゃないかと逆に考えこまされる。
ボクがナイーブ過ぎるのか、叔父さんが極端過ぎるのか、非常に問題だ。
ボクはツマと結婚したおかげで、掃除することを少しだけ覚えた。