いよいよ今日、24日から甲子園を目指す戦いが稚内市大沼球場で始まりました。最北の名寄地区予選を皮切りに札幌地区では今度の土曜日(26日)が開幕です。これからは毎日、たくさんの球児たちがユニフォームを脱ぎ、「元球児」という立場になります。
甲子園に出場した方、出場できなかった方、背番号をもらえた方、もらえなかった方。すべて一緒です。学校も時代も違うけれど、夢にみたものが共通の仲間ともいえるでしょう。
「元球児」への仲間入り、私は大歓迎。でもできれば一日でも遅く、一日でも長く高校球児でいて欲しい、と思います。同じ時代に巡り合えた仲間と同じ夢を追うことは「今」しかできないのですから。
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北海野球部百年物語の冒頭130ページです。
電子図書(楡印刷様ご提供)表紙~第3章「北海野球部、いざ全国へ」昭和8年まで
提供:楡印刷株式会社
北海野球部の素晴らしきその伝統、その歴史を引き続き一人でも多くの方に伝えていき、共に新しい時代を見つめていけるよう、引き続きみなさん、よろしくお願いします。
今週のゲスト・島崎圭介さんは現在39歳になったばかりです。平川敦現北海野球部監督と同級生ですが、平川監督とは同じ投手というポジションで熾烈なライバル争いをした仲間。青年監督と言われた26歳の平川監督を忘れられない方も多いことでしょう。それだけ月日の流れは早いのです。
島崎 圭介さんプロフィール
北広島広葉中では投手兼遊撃手、主将で1987年(昭和62年)4月に北海高校へ入学後、投手として台頭を見せ、1年秋からベンチ入りを果たし6年ぶりのセンバツ出場に貢献(大会直前のケガのためベンチリせず)。2年秋から主戦投手で秋季全道大会出場。3年夏には激戦を制して5年ぶりの夏の甲子園出場を果たした。甲子園では背番号12で二番手投手として登板するが、2-6で桜ヶ丘(山口)に敗れた。
この年は北海道ではまなす国体が開催され、開催地代表として選出され元木、種田らが活躍した上宮(大阪)と対戦した(2-9上宮)。北海学園大では2年時(1991年)に神宮出場に貢献。2度の最高殊勲選手賞、最優秀投手賞を受賞。1994年(平成6年)にNTT北海道入りし東京ドームでも登板した。
現在は札幌日大高の体育教諭。
競争の激しい北海野球部ですが、1986年(昭和61年)秋季大会から監督に就任した大西昌美監督は、猛烈な伝統の練習に加えて効率と座学(ミーティングなど)に時間をかけ、徹底的に指導を繰り返したといいます。島崎さんら高校42期生は入学当初から大西監督の指導を受けていた訳ですから、その指導に戸惑いはなかったことでしょう。ただし、以前出演した渡辺匠さん(40期)、堀松克之さん(41期)らと同じで北海道の野球では従来なかったような奥の深い野球理論を含めた指導に『野球観が変わるような』衝撃を受けたことでしょう。
そんな中、島崎さんは与えられたチャンスを活かし、初登板の東海大四との練習試合で好投したことに続き、秋季大会前のオープン戦でも結果を出し、名門北海の背番号を1年秋から背負います。
「1年の秋ですか?勢いだけで投げていましたけれど、それが良かったのかもしれませんね。地区予選の決勝(札幌厚別戦)も完投、全道大会の2回戦、室蘭大谷戦でも投げさせていただきました。でも1年の秋の想い出は全道決勝(函館有斗戦)でテレビ中継が あって、自分は登板がありませんでしたが、あとから『あ、映ってる』とか言っていたことですね(笑)」
エース・西中紀和さんに続く二番手投手として全道準優勝に貢献した島崎さんは、長く厳しい冬の練習に取り組みました。
「高校野球の雑誌などで『記念大会枠』のような形で北海道かた2校、とか騒がれていましたから、(甲子園に)行けるかも・・・って思ったのも事実です。でもあるときに大西監督に『ゼッタイに選ばれないよ』と言われました」
以前、大西監督に当時のことを聞いたことがあります。でも独特の言い回しではっきりとは言わないのですねぇ。
「選ばれることはない」という思いも本当だったし、関係者らとの話の中で「選ばれる」という確信があったのも本当だったのだと思います。少なくても大西監督は周囲の根拠のない情報に振り回されないことを誰よりも自分自身の課題として真剣に選手たちに接していたのだと解釈しています。
信じられない話かもしれませんが、指導者の中には自身が一番舞い上がってしまう例がたくさんあります。
不思議なことにその浮き足立った雰囲気は部員に伝染してしまうものなのです。
1年生ながら二番手投手として期待された島崎さんは出場を決めたセンバツ大会でも背番号をもらいます。
大会前のに発行された「サンデー毎日・センバツ特集号」では顔写真入りで紹介されているのですが、入場行進をする北海の選手団、そして初戦の西条農(広島)戦を4-0と快勝し、高らかに校歌を歌う選手の中に島崎さんの姿はありませんでした。
「センバツに選ばれてから、四日市キャンプの最終日だったと記憶しています。次の日が甲子園練習だ、という日でした。守備練習中にある先輩が放った送球が私の顎を直撃しました。その場に倒れ、口から血が噴出しユニフォームも血だらけになりました。歯を食いしばろう、と思っても噛み合わず『これは歯が折れたなぁ』って思ったのです。当時部長だった杉本(和紀)先生が歯医者に連れて行ってくださったのですが、そこで『顎の骨が四箇所ほど折れてる』って(笑)。顎の複雑骨折ですよ。そのまま総合病院へ運ばれて即入院でした」
その先輩、は今でも島崎さんと仲良く、事あるごとに「あれは悪かった」と謝るそうです。大切な甲子園出場、甲子園の背番号を手離してしまった島崎さんですが
「野球をやっている中でのケガですから」
と意に介してません。
もちろん当時はそんな素直な気持だったかはわかりませんが、島崎さんにとって、最後の夏に甲子園に出られたことがそのわだかまりをなくしていたのかもしれません。当時、島崎さんの代わりにベンチ入りした先輩に気を遣っていただいたことへの感謝を放送前の打ち合わせでずっと口にしていました。
「センバツ大会出場の記念品があるのですが、先輩は僕に渡そうとしてくださったのです。それを見た杉本先生が『オレのをやる』と言ってくださったことも良く憶えています。ベンチ入りした同級生たちは甲子園の土を持ってきてくれましたが『いらないよ』って言ったりしました。自分達が3年生になってまた甲子園へ行くんだ、という気持ちは強かったです」
甲子園へ出場しながら病院のベットで過ごしたことは、甲子園だけではなく、伸び盛りの高校2年生にとっても非常に大きなブランクです。実際に退院した時には体重は10キロ以上も減り体力もゼロからの再スタートとなってしまうのです。
「2年の新チームは最初は平川(敦・現監督)が背番号1で、全道大会で僕が背番号1でした。投手は多かったですよ。平川、僕、3年でエースになる水上(広光さん)、キャッチャーの榊(世志明さん)もピッチャーでしたし左の谷口(克思さん)も。練習試合でもまんべんなく投げさせていただきました。その中でだんだん絞られて秋は平川と僕で臨む形となったと記憶しています」
1997年(平成9年)の秋季大会終了後から北海の監督に就任した平川敦さんもこの厳しい北海投手陣の練習に耐え、厳しい競争にも負けませんでした。当時のことを島崎さんはこう振り返ります
「投手としての球速は僕の方がありましたけれど、平川監督はコントロールが良くて丁寧に投げるタイプでした。長身でいかにもピッチャーらしい体格でしたけれど、運動能力は凄かったですよ!走らせても速いし、勉強もできる、水泳もバレーボールも凄いんです。何をやらせても凄かったなぁ。僕が彼よりも勝っていたのは球の速さだけでしたね(笑)」
今の平川監督を知る私は「きっと、ヤンチャなチームメイトの中でいつもニコニコして黙々と練習に取り組んだんだろうな、と想像してしまいました。その想像が合っているかはわかりませんが、普段、自分の話をあまりしない平川監督の知られざる一面を知った気がします。
「平川監督は中学時代にハイジャンプ(走り高跳び)で全道大会に出てるんですよ!僕は走り幅跳びでしたけど(笑)」
この放送、ブログは現役の高校生も見てくださっていると聞きます。だとしたら普段あまり話すことのない平川監督の高校時代の話は面白かったのではないでしょうか。
そして監督は21年前にしっかりと文武両道に取り組み、最後の夏に甲子園球場に立ったのです。
話は少し逸れますが、私たちの時代もそうですが野球部員は何のスポーツをやらせても上手だったはずですが最近、そうでもないという話を聞きましたが・・・
「確かに私が(札日大の)野球部を見ている頃はサッカーをやる生徒が万能でしたね。運動能力の高い子供がみんなサッカーをやって育った時代です。でも最近は野球部員もまた高い運動能力を持った子が増えてきましたね」
島崎さんに「島崎さんも何でもできたでしょ?」と聞くと
「まぁ、一通りはやれましたけれど、平川監督はどれも凄かったですからね。勉強も出来るところがまた凄い(笑)」
北海の厳しい競争は、確かに壮絶ですが、苦しさを共にすることで友情にも発展するのは事実のようです。
「競争は厳しかったですけれど、僕らは仲良かったですよ。平川監督の下宿(平川さんは厚岸の中学校出身)にも遊びに行きましたし大学時代(北海学園大)にもよく話しましたし、それこそ4年前までは僕も同じ高校野球の指導者という立場でしたし。今も教員ということでも仲良くさせてもらっています」
最上級生になった島崎さんらは秋季大会で砂川北に敗れ、長い冬の練習に入りました。
これから先にも大きなドラマが待っているのです。
さて、今日はここまでにしましょう。
明日からは平成時代の話になります。
ご期待ください。
今日はサッカーW杯の日本代表の活躍に注目ですが、明日に試合のある球児はかわいそうですね。
特に第1試合の利尻-名寄産業のナインたちは・・・。厳しいハンディに負けずガンバレ!
6月21日 島崎圭介さんのリクエスト。
1.YELL!~16番目の君(井上昌己) 熱闘甲子園の名曲!榊さんからリクエストでもあったのですがアレン
ジ違いで流してしまい・・・残念でした
2.HERO(麻倉未稀) お父様がラガーマン。熱血ドラマの決定版「スクール・ウォーズ」で
3.背番号1(コブクロ) 爽やかで切ない野球をテーマにした楽曲。私も知りませんでした・・・感謝。
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★お知らせです。春季優勝記念特番VOL4
来週 6月28日のゲストは種村慎介さん&佐藤塁さん(49期・平成8年度)
「大西監督の集大成!全員野球の9人野球」
種村さんは北海野球部史上唯一(と思う)の親子で甲子園出場者です。
札幌市外の方もインターネット放送 で聴くことも可能です。
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メッセージは apple@765fm.com FAX 011-813-6767