My Musical History The Mafiaのころ_1
文化祭が終わった。もう一度書くが、当時の我が校の文化祭は
6月に開催されていたので、文化祭が終わると、期末試験、そして
夏休みである。
Mephyth(聖飢魔 llのコピーバンド)は、週1度のリハは行っていたが
ライヴの予定は決まっていなかった。それをいいことに、僕は
その夏の音楽用エネルギーを、Dungのレコーディングに費やすことに
した。
Dung。The Mafiaというバンドのヴォーカルで、1学年上の先輩だ。
その彼が、The Mafiaではなく、ソロ名義でレコードを出すということで
新規にメンバーを探していた。その網にかかったのがドラマーとしての
僕である。
レコードに収録する予定の4曲を中心に練習が始まった。なにせ
他人のオリジナル曲を覚えるのは初めてである。最初はついてゆくのが
やっとだった。アレンジはDung本人と、The Mafiaのベーシストで、
今回のレコーディングではアドバイザー的な立場にいるK氏が担当した。
譜面を書かないひとたちなので、ドラムのパターンなどはほとんど口伝で
ある。
「ダンツタンツタン」
「ダララスッタン」
「ダドットタン」
という、まるで最近の携帯電話のCMのBGMのような言葉が飛び交う。
(実際、民族楽器の演奏を教える場合、口伝えに教えることは少なくない)
しかし、DungもK氏も、打ち解けるととても面倒見のいい人物であり、
のメンバー(ギターのウメさん&ベースのカズ)も楽しい奴らなので、
リハーサルは終止雰囲気よく進んだ。
この頃から、Dungにいろいろなバンドを教わった。パンクが中心
だったが、The ModsやARBなど、日本のバンドも彼から吸収した。
ジョー・ストラマーの楽曲たちに初めて触れたのもこの頃である。
文化祭が終わった。もう一度書くが、当時の我が校の文化祭は
6月に開催されていたので、文化祭が終わると、期末試験、そして
夏休みである。
Mephyth(聖飢魔 llのコピーバンド)は、週1度のリハは行っていたが
ライヴの予定は決まっていなかった。それをいいことに、僕は
その夏の音楽用エネルギーを、Dungのレコーディングに費やすことに
した。
Dung。The Mafiaというバンドのヴォーカルで、1学年上の先輩だ。
その彼が、The Mafiaではなく、ソロ名義でレコードを出すということで
新規にメンバーを探していた。その網にかかったのがドラマーとしての
僕である。
レコードに収録する予定の4曲を中心に練習が始まった。なにせ
他人のオリジナル曲を覚えるのは初めてである。最初はついてゆくのが
やっとだった。アレンジはDung本人と、The Mafiaのベーシストで、
今回のレコーディングではアドバイザー的な立場にいるK氏が担当した。
譜面を書かないひとたちなので、ドラムのパターンなどはほとんど口伝で
ある。
「ダンツタンツタン」
「ダララスッタン」
「ダドットタン」
という、まるで最近の携帯電話のCMのBGMのような言葉が飛び交う。
(実際、民族楽器の演奏を教える場合、口伝えに教えることは少なくない)
しかし、DungもK氏も、打ち解けるととても面倒見のいい人物であり、
のメンバー(ギターのウメさん&ベースのカズ)も楽しい奴らなので、
リハーサルは終止雰囲気よく進んだ。
この頃から、Dungにいろいろなバンドを教わった。パンクが中心
だったが、The ModsやARBなど、日本のバンドも彼から吸収した。
ジョー・ストラマーの楽曲たちに初めて触れたのもこの頃である。