吾輩は猫に生まれた。
名前はまだシルク。
生まれてすぐはある温かい人間族の家庭の中に居た。
吾輩には他に兄弟が4頭居た。
まだ母親のお乳を飲んでいる頃にそのうちの3頭はよその人間族の家庭にもらわれていった。
猫という生き物は人間族の生活の中で生まれたら最後、自立もしないままに大抵が兄弟とは別々に生かされていくのである。
1頭、また1頭と、大きな掌の中に包まれて居なくなってしまう兄弟を見送る心持ち?
まず可哀想でならなかった。そして寂しいとは言いたくはないが、兄弟はいたほうがいいに決まってる。誰も一人っ子なんか望んでやしない。同じ環境で育った種族同士にしか共感しあえないことが当然あるからである。喜びも悲しみも共感しあえるから生きてゆけるのは猫も同じである。
言葉はいらない。ただそこに在るだけで共感という安心がもらえるのである。
それとも吾輩がどこかの人間と共感出来ることがあるというのか?
このときの吾輩には皆目検討もつかなかった。
ところで、なぜ、吾輩が人間界で言う跡継ぎの猫ではなかったにも関わらず成猫になるまで家庭にいられたかというと、それはミルクが飲めなかったからである。
ミルクとは粉ミルクのこと。
森永もダメ。明治もダメ。グリコも大塚製薬もそう。飲むとすぐ、べっと吐いた。
牛乳はたちまち腹を下した。
吾輩は唯一、母親の母乳でしか生きていけない猫だったのである。
どんなに母親が痛がろうと嫌がろうと喜ぼうと母乳でしか生きられない吾輩は母親の内側に潜り込み白くて柔らかくて温かい胸の中でお腹いっぱいの母乳を飲んだ。
母乳のみで乳児期を乗り切ったのである。
しかし、皮肉なことに吾輩につけられた名前は、ミルク。
ミルクが飲めなかったミルク。とか、
母乳しか飲めなかったミルク。とかなら
意味は通じるが。
ただの、
ミルク。
とは、いささか胸に刺さる名前である。
しかし、今、
人間たちは吾輩のことを
シルク、と呼んでいる。
シルク、シルクと。
《つづく》