新党ブーム? | kyottides的 喜怒哀楽

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一年余りにわたって 開店休業状態 でしたが、そろそろ、また、あれやこれやと綴ってみようかなと思い始めています。よろしくお願いします。

 政党というものは、その政治理念または政治綱領と行動規約に基づいて、それを表現するものとして名前を掲げるものだと思うのだが、「たちあがれ日本」だの「みんなの党」だの、むしろ、理念や綱領を見えにくくして曖昧さをねらった議員政党が乱立する様相を見せ始めている。
 自由と民主を掲げた自民党を飛び出した者のうち、「国民新党」くらいまでなら、“蒋介石の国民党のようなもので、その新党ということか”と、国民全体を統合しようとする国家主義体質なのだということが理解できた。だが、その後の「みんなの党」とか「たちあがれ日本」などとなると、どんな政治理念と目標を掲げているのか、意図的に曖昧にしているとしか言いようがない。なんとなくムードをつくることで人気をかすめ取ろうという狙いが見え透いている。それだけ、国民をバカにしていることにもなると思う。だから、与謝野・平沼+石原慎太郎らの新党もどきは、評判が上がらない。
 現在の日本の政治的課題を明確にし、それをどのような方向で解決しようとするのか、それを示してこそ、国民に信を問う政党としての真摯な責任ある態度だと思う。
 だが、こうした自民くずれの諸君よりも、保守主義から社会民主主義までごった煮にしてしまって、多数派をかき集めることができると信じた民主党の方が、数々の幻想をふりまいたことや、後になって多くの人たちを失望させただけ、犯罪的である。上から下まで、右から左まで、それぞれが自己流の「民主党」になってしまっているから、いったい、どれがホントの民主党なのか、わけがわからない事態となっている。

 昔、1929年の大恐慌の後、帝国主義諸国はブロック経済体制などを構築することで市場の囲い込みを図り、弱小の帝国主義だったドイツや日本などを蹴落とそうとした。その中にあって、ヨーロッパの列強や誕生したばかりの社会主義体制の挟間に囲まれていたドイツでは、労働運動が盛んとなり、労働者国家を目指す動きが活発になった。そんな中で登場したのが国家社会主義労働者統一党だった。社会主義を目指し、労働者が主役の国家をめざしているかのように思わせたこの政党は、鉄道のストライキなども共産党とともに積極的に賛同し、当時人気を高めつつあった左翼勢力の一員のような政党と勘違いされた。彼らは、労働者の支持をかすめ取ることで勢力の拡大を狙ったのだった。
 その国家社会主義労働者統一党の略称がナチスである。(自民党の谷垣が民主党を非難するのに好んで使うのが、この国家社会主義、つまり、民主党のことをナチス=ファシストだと言いたがっているのである。)
 ナチスは、選挙で多数を握ったとたん、国会放火事件を起こし、それを共産党の仕業だと宣伝して大弾圧に乗り出し、一夜にして共産党を壊滅させたのだった。以後の国内での恐怖政治と対外侵略は、それこそ電光石火と言われたほど、多くのドイツ国民にとって、まるで悪夢を見ているのかと思ったほど、夢と現実とが、わけのわからない勢いで事態が進んでしまい、悲劇的な運命をたどることになった。

 もちろん当時の政治情勢とは違うのだが、今でも、同じような政治手法が使われている。出来るだけ多くの支持を得たいと、紛らわしい名前をつけて政党の名乗りを挙げている諸君ほど、要注意である。彼らは看板には本音を掲げず、その裏で策略を練り、国民の支持をかすめ取ろうとしているのである。今の日本でいえば、元・青嵐会(鈴木宗男の師匠・中川一郎もメンバーだった)という極右の政治グループの一員だった石原慎太郎を含めた自民崩れや民主が、そのもっともタチの悪い部類に属する。
 外相の岡田などは、3割台の得票で6割、7割の議席をいただいてしまう小選挙区制を推進してきた人間であり、アメリカなどのように「政党法」を導入したくて仕方ない本音をチラつかせている。「わが党」に都合がいい制度を仕掛けたがる「わがもの顔」の身勝手な政治屋なのである。この岡田の形相がヒットラーの形相に似ていると思うのは、思い込み過ぎだろうか。