more 序 の続きです。
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「まあ。そういうわけなんだけど」
「わかりおした」
秋斉の返事を聞いて、やっと一区切り付き短く息を吐いた。
それを合図に、秋斉もふっと気配を緩める。
時間をはかろうと外側の障子を見ると、途中部屋に灯された明りが際立つ様な闇が透けて見えた。
置屋に来たのは空が橙に染まり始めた頃だった。
今日は秋斉に急ぎの話があって来たのではなかったが、話し始めると雑多に話しておきたいことがあって、いつの間にかこんな時間になっていた。
「ずいぶんな時間になってしまったね」
「せやな・・・ご苦労さんどす」
話し疲れた口にお茶を運ぶ。
すっかり冷えてしまったお茶は、舌先を微かに痺れさせ喉に刺々としたものを残して落ちて行く。心まで冷え込んだ様な気がしてさっきよりも大きく吐いた息は、ため息となった。
「えらい深いため息どすな。今日 はそないややこしい話ししてへんと思うたけど」
「○○は、まだ帰ってこないかな」
ポツリとつぶやくように言う。
「………まだ、その時間にはちいとばかり早いやろか」
「そう…しばらく会えていないなあ」
ため息の理由は、それだった。
「このあいだは稽古。その前はおまえと挨拶まわり。今日は早くにお客に呼ばれたんだったっけ?頑張りすぎだよね」
働かせすぎじゃない?と視線で問いかける。
「太夫になろういう○○はんや。贔屓のお客さんもようさんいはるし。何より本人が真面目で真っ直ぐな子やさかい。健気にがんばってはる」
誰の為に頑張っていると思う?と視線がかえってくる。
わかっているけど、応援しているけど。
会えるかと思って来たのに、会えなかったということで、少しばかり拗ねた気分になっていた。
期待をしすぎた反動だ。
「こんなことなら、突然来て驚かそうなんてしないで、文でも出しておくんだった」
「悪戯心も身を滅ぼすいうことやな。けど、約束を破るような真似したらゆるしまへんえ」
そっけなく返された言葉の中の秋斉の想いは深い。
約束を反古にしたら〇〇が、悲しむだろうという牽制はもちろん。
俺に約束をできるような余裕がないことにも、秋斉の目は気遣わしげに細められている。
(小さな棘は棘のままだけど・・・)
「ねえ。○○は元気にしてる?」
「来た時にも聞いたやろ」
「風邪とかひいていないとは聞いたけど…寂しがったりしていない?」
秋斉の綺麗な切れ長の目が、先ほどよりも優しく細められて深い色を宿した。
その目が想いを馳せるのは、あの明るく暖かい存在だろう。
自分たちのようにどこか暗い所を持つ人間からしたら、あの娘は光のようで、夢を抱くような心地がする。
———それは時に恋情に近い。
気付いているのだろうか?
不器用なこの男は。
自分と似ていない、けれど、やはりどこかで似ている秋斉は・・・
「いや。一言も言葉には…わがままを言う娘やない」
わずかに整った睫毛が伏せられる。
○○が『自分のわがまま』だと考えておさえている事柄。それは確かに言われて叶えてやる事が難しい事かもしれない。だけど、そう思って押さえ込んで弱音すら吐かないことをもどかしく思っているのだろう。
「そう…ねえ。待ってちゃ駄目かな?」
二人とも疲れがたまっているのか空気が重い。
「あきまへん。○○はんを待ってはったら大門しまってしまうやろう。帰れんようになる」
「えーじゃあ、泊まろうかな」
駄目だとわかっててわがままなふりをする。
「………あんさんが言うと、本気かもしれん思うてしまう」
秋斉が眉を寄せて訝しげな顔をつくって、ため息とともに吐き出した。
「本気」
にっこり笑って答えると、混じりっ気なく嫌な顔をされた。
「駄目?」
「………」
秋斉は答えず、自分の分の冷え切ったお茶に口をつけ、不味そうに湯呑を睨んだ。
「新しいお茶を持ってきてもらおうか…」
「賛成」
部屋の空気が少しだけ軽くなって俺も自然と笑みを浮かべていた。
秋斉の視線が俺の笑顔を見て、でも、つられて笑うなんてことはなかった。
「目の下にクマが出来てる」
「目立つ?」
(今日は、そんなにでもないと思ったんだけど)
「お茶飲んだら帰りなはれ…疲れてるんやろう」
どちらとも取れそうな返事に、俺は自分の目の下に指を這わす。
「そんなに、俺の事気にしてくれてるの?」
「あんさんがわてに気をもませる事するからやろう」
冷たく言って、秋斉はお茶のお代わりを頼むために立ち上がった。
(心配してくれるんだ)
長いことそうやってきたから、優しいくせに本当の優しさをも漏らさなくなった秋斉。
時々尋ねてみる。
今みたいに、冷たい返事の中の優しさ。ずっと一緒にいたからわかる。
その姿を見上げて、俺は機嫌よく笑って見せた。
そのとき、トタトタと廊下を踏む足音がする。
(あ…)
と思うと、部屋の前で足音は止まって襖の向こうから優しい澄んだ声がする。
「秋斉さん。ただいまもどりました」