友人が実家に帰る。頻繁に会っていたわけではなかったが、頻繁に会えなくなる現実をつきつけられると期するものがった。Uターンすることは彼にとって良かったと思う反面、正直寂しい。最後の晩餐よろしく、酒を飲むことは多々あれど酔っ払ったのは久方ぶりだった。彼は地元の愛知に帰ると思うと感極まる。僕にとって彼の存在が大きかったことが、失うことで思い知らされた。この、なくした時に気づくというのも世の常である。失敗から全てを学べたら苦労しない。

彼と飲んで語り合った帰り道、僕は有意義だったとか得も言われぬ充足感とか、そういうことを感じながら僕は別れ際に感極まり、ひどい面をして歩いていたのだ。そしてコンビニで最近お気に入りのスニッカーズを買って帰ったのだ。坂道を登った所にある100円ショップに行けばそこで売っているスニッカーズをそれを面倒くさがった120円で買ったのだ。そして店を出る頃にはすっかり泣きやんで平気の平左で歩いて帰ったのだ。
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おねしょの破壊力

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起床時間より少し早い頃だっただろうか。朝、目が覚めて外は明るくなりかけていた。まだ布団にいたかったが、尿意のほうが強く、起きる。股間が冷たかった。下着が濡れているではないか。

とりあえず小便をしてその間、嫌な胸騒ぎがした。トイレでトランクスを脱いでそのにおいを嗅いだ。ツンとアンモニア臭がする。僕はおねしょをしたのだ。

大量の小便をする夢を見たことを思い出した。ホームセンターのような店でもよおし、必死でトイレを探すもみつからず、どこかの洗面器で用を足す夢。そこで出せども出せども止まらない小便を前にして、実際の僕も恍惚とした表情をしていたのだろう。実際に出してしまっていたのだから。

しかしこの精神的ダメージは大きい。膝から崩れ落ちてしばらく立てなかった。およそ30年振りの失態だ。
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キーコーヒーという名前のインパクトに惹かれる。KEY COFFEEとアルファベットで表示されると魅力は半減するのだが、音にした時の心地よささたるや、その見事さに聞き惚れる。「キー」と「コー」との同じ子音の続き。そして「キー」と「ヒー」の頭と尻との母音の重なり。美しい3連符である。

コーヒーに被らせる帽子として「キー」が最適ならば、靴を履かせるとしたらどれが良いだろう。「ホー」だろう。続く子音、重なる母音を照らし合わせるとそうなる。そんな法律ができないものだろうか。内容は問わない。

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延長15回まで戦い抜く、まさしく死闘だった。チェンが先発で勝ちきれなかったこと、浅尾を投入して追いつかれたこと、正直この2点が中日としては痛い。確実に勝ちを計算していただろうチェンでは是が非でも星を拾いたかった。浅尾は明日以降の登板も当然予想され、その中で精神的ダメージが残っているか否か。しかしネガティブに考えても始まらない。

当然、シリーズ8戦までを見越して戦う。それでいて、目の前の1試合だけを見据える。今日の先発、吉見のできにかかっている。初戦で本来の投球ができず不甲斐ない姿を晒したが、そこはエース教育を叩き込まれ男。重圧を跳ね返すと信じられる吉見を見てきたのだ。

千葉マリンでの3戦は大方の予想通り1勝2敗で終えた。負けた2試合での見切りのつけ具合はさすが。中継ぎを温存した形が、最後の名古屋で活きてくる。先発ピッチャーは打たれすぎ、スタメン野手は打てなすぎではあるが。

4戦目の勝った試合はしびれるゲームだった。浅尾と高橋がピンチをしのぐ場面には鳥肌が立った。客観的に見てもかなりの割合でベストバウトに選ばれるのではないだろうか。途中、負けてもいいやと、試合展開で既に満足している自分もいた。こんな素晴らしい野球を見させられたのだから。これで視聴率が取れなかったのであればそれは視聴者の質の問題だ。

さて王手をかけられた常態での名古屋。ロッテは成瀬、渡辺俊で来るのは明白である。迎える中日は順序通りまず吉見でそれを撃つのか、並びを変えてチェンが先鋒か。追い詰められたが、うっちゃれないことはない。自軍、敵軍とも選手個々の調子も分かった。ロッテの勢いと精神力の強さは賞賛に値する。しかしここからが頭脳戦である。

日本シリーズのキーマンは荒木だと思っていた。短期決戦においてリードオフマンがいかに塁に出てかき回すか、その役割はペナントレースよりはるかに大きい。CSでも荒木は初回先頭打者で4戦中3試合で出塁した。それが勝った要因としてかなりのシェアを占めているようにとれた。

そして日本シリーズ2戦目、初戦は塁に出られなかった荒木が初回を含め3安打を放つ。打線がのれたこともそれに起因するのではないだろうか。逆にロッテの1番、西岡を黙らせることもできた。

予想外に大差がつき、投手陣も一通り登板した。しかしそれはロッテも同じ。これから戦いの場を千葉マリンスタジアムに移すが、敵地に弱い中日は苦戦を強いられるのは必至である。1勝できれば御の字。勝負を名古屋に持ち越したい。

東京のウルサル

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彼女と待ち合わせをした場所は東京の西のほうの知らない街だった。閑静な住宅街だ。僕はそこを歩いている。日中、天気は良いが人をあまり見ない。

その中に一軒、何かの店のようなこじゃれた構えの家があった。数人の外国人の子供がそこに入っていく。どうやら小さな映画館のようだ。特集上映をやっている名画座の装い。中を覗くと、もぎりをしているのも中近東出身らしき男だった。そういえば入った子供たちも褐色の肌と、クリッと大きい目を持っていた。並べられたポスターは僕たち日本人からするとあまり馴染みのない国の映画ばかりである。

入口にはさほど主張しない字で「東京のウルサル」と書いてある。ああ、東京のウルサルってここにあったのか、僕はそう思ったのだった。

夢から覚めた今にして思えば、なぜそう思ったのか皆目見当もつかない。東京のウルサルなんて知らないのだから。そもそもウルサルって何だ。聞いたこともない。潜在的に聞いたことのある単語なのかも知らんと、起きてインターネットで検索したが、めぼしいものはヒットしなかった。

しかしこのネーミングセンスは我ながら秀逸だ。そんな店とか、本とか、歌とか。あってもいいし、貸してもいいし。

週末、小田原でおこなわれたエピゾ・バングーラのアフリカンドラム・ダンス合宿に参加した。エピゾをはじめタンガ、カラモコ・カマラなど総勢5人の著名なアフリカンが名を連ねるという、豪華な講師陣だった。

ドラムワークにだけ参加する予定だったが、ダンスワークの時も叩かせてもらえ、錚々たるメンバーの中に自分が混じっていることに違和感を覚える。しかしこんな光栄なこともない。充実した日々だった。

一緒に参加した友人は来年、ジャンベを習いにアフリカに行くという。僕の後輩にあたるが、先を越された感があり、それを聞いた時は正直悔しかった。僕自身も行きたい気持ちは常に持ちながら、踏ん切りがつかずにいる。仕事や金銭的な問題があり、いや、ただそれを言い訳にしていただけに過ぎないのだが、いつかは決断しなければならない。

開幕ローテーションに入った山井は目を覆いたくなるようなピッチングが続いて早々に離脱した。勝てないどころか試合を作ることしかできない。2軍に落ちて当然だった。

思えば山井はそんなことの繰り返し。ポテンシャルの高さから常に期待をされて今年で9年目になる。永遠の若手といわれる芸人のようだ。吉本興業で当てはめるなら野性爆弾が近い。いまだ年間通して1軍にいたことはない。時折、神がかったパフォーマンスを見せる投手である。魅せる投手でもある。縦に落ちるスライダーが決まる日は手をつけられない。しかし山井の先発の日は基本、捨て試合と思ったほうが、中日ファンにとって気が楽だ。なにしろ、しょっぱいゲームになる確率が高いから。

「記録より記憶に残る投手」と、引退したら言われるだろう。ジャンケンで勝って先発の座を射止め、そこで完封してしまったり、日本シリーズで8回まで完全試合をしたり、度肝を抜くことをやってのける。トランプの大富豪でいうならスペードの3のようなポジションだ。8回完全をやった際の相手投手はダルビッシュだった。日本シリーズといえばその日本ハム戦だけでなく、西武との2004年も記憶に残っている。その時もスライダーが笑えてくるほど切れていた。

そしてまた今日やらかした。ノーヒットノーランを目前にした9回、再び岩瀬の救援を仰ぐ。降板する山井を思い出すととやはり笑える。そうやって彼は中日ファンの心を鷲掴みにするのだ。本人は悔しいだろうが。

1年以上、連絡が取れなかった友人から返信がきて、口実を作って約束をとりつけた。長いこと電話も出ず、死んだかもしくは出家したとばかり思っていたので安心する。

何かに対して怒っていたらしい。それは彼らしくもあるのだが、まさか僕まで連絡先を消されて無視されるとは、いささかショックだった。ものを捨てたがり、そぎ落とす生活ぶりは変わっていなかった。俗世との遮断を計る彼の手段として、僕の存在が多分に漏れなかったようだがそれも許そう。彼にとって僕は数少ない、もしかすると唯一の友人だし、僕にとっても彼は無二の存在だし。

何に対して怒っていたかは、聞かれたくなさそうだったのであえて聞かなかった。それは二の次だ。積もる話もあって会話が弾んだかといえばさほどでもないが、それも二の次だ。定期的につきまとうことに決めた。