「問」を持つ
これはキングコング西野が、
ブログで書いていたもので、
大変共感を覚えてぜひ拡散させたいと思ったので
私も書きます。
知ってる人は知ってるかもだが、
キンコン西野は今、お笑い活動だけでなく
絵本作り
町おこし
イベンター
など、よく分からないけどめちゃくちゃいろんな方面で活躍している
時代先取り男であり、いつからか尊敬するようになった。
以下は西野ブログ抜粋。
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時速20キロというのは50メートルを9秒。そのペースで、ずーっと、だ。超人すぎるぜ。
しかし、箱根駅伝のテレビ中継で語られるのは、どこの大学が勝っているのか、またはタスキが途絶えた途絶えないウンヌンカンヌンで、ランナーの超人的なスピードが語られることは、あまりない。
ときどき、「区間記録が出ました!」とアナウンサーが叫んでいるが、あくまで数字上での話で、画面から、そのスピードは伝わってこない。どうして、あのスピードが画面から伝わってこないのだろうか?
スピードが伝わった方が絶対にイイじゃん。なのに、なんで?
まず、ランナーの表情を撮る為に、テレビカメラはランナーの真正面に構えている。そして、ランナーと同じスピードで後ろに下がるもんだから、どうしてもスピードが伝わりにくい。ときどき、横からのカットが入るので、その時に流れる後ろの景色で、ようやくスピードが伝わる。が、ほとんどは正面から。しかたないよね。ランナーの表情が見たいんだもん。
というわけで、カメラ位置を咎めてもしかたない。
ダラダラと長くなりそうなので、結論を言っちゃう。
箱根駅伝のランナーのスピード感を殺し、箱根駅伝自体の面白さを殺している犯人は、カメラとランナーの間にいる白バイのオッサンだ。
最高速度200キロ以上出る白バイからしてみれば、時速20キロなんてヨチヨチ歩きで、白バイのオッサンは常に余裕の表情である。汗ひとつ流さず、実に涼しそう。いや、むしろ、退屈そうだ。この期に及んで、退屈そうなのだ。
画面から伝わるはずのランナーのスピードを殺していた犯人はコイツ。
白バイのオッサンの表情である。ここを改善すれば、ランナーのスピードが画面から伝わり、箱根駅伝が、もっと面白くなるに違いない。では、どうすればいいか?
答えは簡単。
白バイのオッサンには、白バイを降りていただき、代わりにママチャリ(お母さん専用自転車)に乗ってもらおうではないか。
自転車といえど、時速20キロで走るのは至難の業だ。しかもそのペースを維持しなければならない。当然、白バイのオッサンあらため、ママチャリのオッサンは、汗をほとばしらせ、鬼の形相になる。それでいい。それがいい。
「あの鬼の形相で激走しているママチャリのオッサンに、ついていってるってことは、ランナーはとんでもねぇスピードなんじゃね?」という算段だ。
箱根駅伝を、より面白くするカギは「白バイのママチャリ化」だったのだ。
超人を、超人たらしめるには、基準となる凡人の存在が必要不可欠だ。
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そしてこのブログは
「後半」へと続くわけだが、
「問」は豊かで不満のないところからは
生まれない。
世の中に不満を持ち、
現状に不満を持っているから、
「問」が生まれる。
「夢がないのですがどうしたらいいですか」
という人がいたら私はこう答えます。
「私ならまずジムに通って立派な肉体を作ります」
肉体を作るのには数ヶ月の努力が必要。
時間の使い方も変わる。食事の摂り方、睡眠の仕方が変わる。
一駅分はジョギングするようになる。ジョギングに見る新しい景色がそこにある。
全ての見方が変わってくる。
そこから「問」が生まれる。
もっと良いサプリメント無いかな。
もっと良いトレーニング無いかな。
こんな無意味な飲み会に行って脂肪ついちゃうな。
「問」は確かな批判力となり、
自分力を高めていく。
それが社会的に、悪く思われたり周りから否定されたりしたって、構わなくない?
自分の「問」を持ち、そこに挑み続けることの方が
よっぽどデカイ。
世の中の為になる。
世界は、動いてる。
変えていたなきゃ、生きる意味ない。