ふくとらさんのブログ

ふくとらさんのブログ

2011年3月11日以来、福島はフクシマになり、低放射線量下での生活を余儀なくされています。それでも、我々はしっかり生きています。子供たちのためにも、核と共存せざるを得ない世界のひとたちの為にも。旅が好きなとらさんの
メッセージをお読みいただければ幸です。

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3月から、札幌に滞在しています。
娘の3人の子育て応援、あわせて放射能からの避難・保養を兼ねての滞在です。

札幌で見聞きした事、感じたことを下記のブログ「札幌たより」で発信し始めています。
覗いていただければ幸いです。

「あらおしゅんすけ3.11の記録」 
もしくは
「k9mp」
で検索いただければ開けるはずです。


しばらく
ばたばたしていてご無沙汰していりました。

このこの3月から、放射能を避けて札幌に来ています。
半年ほど、娘の子育てを手伝いながら、滞在する予定です。

先月、あらおしゅんすけ詩集「あだたらのあおい空」を発刊させることができました。
その概要は次の通りです。


本の題名:「あらお・しゅんすけ詩集『安達太良のあおい空;3.11の記録』」(46240頁)
「別冊付録 『福島からの手紙』」(64頁)   (2冊でひと組)

著者:荒尾駿介(福島県二本松市在住。獣医師、詩人、エッセイスト)

企画・編集:「憲法9条・メッセージ・プロジェクト」(共同代表;安斉育郎・須田稔)

出版:山猫軒書房(自主出版支援工房)

価格:制作実費+復興支援=2,000円(送料・実費)

内容:2011311日の東電福島第一原発事故で自主避難地域“レベルの放射能汚染地になったところに住む一市民が体験し感じたことを詩の形で記録したもの。

後半部には、以前から民主主義のありかたや原発問題を追及してきたフリージャーナリストの柴野徹夫の歴史的・世界的な視野から福島原発事故を解析する特別寄稿が掲載されている。

さらに、セットになっている別冊ではこの事故に遭遇した多くの福島県人が手紙の形で生の声を寄せている。

           *             *

申し込み・問合せ先:荒尾駿介 Email arasyunda4@kjf.biglobe.ne.jp

 




 
2013
311メッセージ 

福島第一原発事故から2年を迎えます

福島に関心と支援を寄せ続け、脱原発運動に取り組まれている

皆さんに心より敬意と感謝の意を表します。

ご承知のように、福島では事故があった原子炉からは今も

大気中や海に放射能が流出しています。

4号機の使用済み燃料プールはリスクを抱えたままです。

多くの原発労働者が被曝しながら困難な収束作業を行っています。

野田首相の福島原発収束宣言を妥当なものだと考える人は

ほとんどいないでしょう。

また、この原発事故は市民により告発されていますが、

未だに東電や国の刑事責任は問われておりません。

賠償問題については、東電に誠意が見られないと多くの人が

指摘しています。

 

16万人を越える避難者が、全く先の見えない不自由な避難生活を強いられております。

国は避難地区の一部に、年間線量20msv以下になったとして

帰宅させていますが、多くの子供や母親たちが戻らないのは

当然のことです。

 

私たち約100万人が住む福島市、二本松市、郡山市などの地域

でも極めてリスクの高い被曝実験が行われているといわざるを得ません。

皆さんが福島に線量計を持っておいでになれば、そこは紛れもなく放射能汚染地であり、除染もさほど効果が無いことを確認できるでしょう。

 

ちなみに二本松市の私の周辺での1時間当りの空間放射線量は

舗装道路では0.3μsv前後ですが、その道路脇では0.7から1.0という値です。

市内の住環境の中で2とか3μsv以上の場所を見つけ出す事は

さほど困難ではないのです。

文科省のモニタリングポストはほぼ1年半にわたって、実態より10%も低い値を示していたのですが、現在でも生活環境の放射能を適正に示しているとは言えない状況があります。

復興・再生の名の下に、国や県はマスコミを総動員して、福島の安全安心を人々に刷りこんでいると多くの人は感じています。

市民の不信感・不安を増した象徴的なことに、

県民健康管理調査検討委員会で事前秘密会がもたれたことや、

こどもの甲状腺の異常に対する不適切な対応があります。

 

福島県人は、見ることも感じる事もできない、直ちに影響が
でない放射能に
慣れさせられ、また国や県に対する不信感のため、放射能問題の抜本的解決をあきらめかけている人が多く
なっています。

低線量長期被曝が人間の健康に与える影響について、人類は
半世紀以上
にわたり、多くの犠牲を払いながらそのリスクの存在を確認してきたはずです。

しかし、IAEAや国はそれを認めようとせず、情報の開示もしていません。

 

この時間にも放射能に曝されている我々は、次のようなことを望んでいます。

低線量長期被曝が抱える健康リスクについて真実を伝える事、

こどもや若い女性に積極的な避難・保養をサポートする事、

被爆者手帳を配布し健康管理を続ける事などです。

これらは「原発事故こども・被災者支援法」の中身を充実させることです。

 

IAEAや国は福島原発の事故直後から事故を過少化し、

忘れさせようとしています。

しかし、隠蔽するのではなく事態を直視し真実を知らせること
こそが、核
に怯える事のない平和な地球を未来の子供達に
渡すことに繋がるも
と確信します。

「チエルノブイリは人類に対する最後の警告」と言われましたが、その警告を生かせなかった我々は今、何ができるのか、何をすべきか、真剣に考えようではありませんか。(了)

 
 
  

 

 あれから2

あれから2年が経ちました

不安の中の2年でした

心配されていた事が顕わになってきました

甲状腺ガンの子供が3人、疑いのある子が7人も出ました

それでも県立医大のエライ先生は言いました

「被曝の影響は考えにくい」

 

自然豊かな福島県の大地に

満遍なく降り注がれた放射能

幾世代にもわたって11秒ひとびとを攻撃する悪魔

野を歩けば光の春の中に音もなく踊り

町を歩けばあちこちに放射線管理区域をつくって

人々の心の奥底にも黒いプルームとなって沈みこんでいます

 

現代科学と経済と政治、そして欲望がもたらした

人間と共存できないはずのもの

それを許してしまったこの社会

このフクシマで何が起こりかけているか知っていますか

大声で世界に向けて叫びます

「助けてください!」

 

 

 


 
 古希の私

福島第一原発事故後1

古希を迎えた私

 

かつてないほどの不条理、理不尽、不信や欺瞞を

初めて体感している私

 

憤るのも通り越して

あきれ果て、虚脱感に満ちている私

 

思い直して、そこに

人の世に生まれた意味を噛締めている私

 

 

 不覚でした

不覚にも

考えもしませんでした

国は国民の命を守ってくれないものだということを

(でも確か60年以上前、同じような事があったのです)

 

スピーディのデータを開示せず

放射能の危険性を知らせず

(「直ちに影響ありません」と言うだけで・・)

メルトダウンの情報もあやふやで

年内には原発が収束したと宣言し

低線量長期被曝の健康リスクを語らず

母子にさえも避難する事を認めない国

 

2011年に身をもって学びました

自分の、家族の命は

自ら守るものだと

 

でも

子どもの親である政治家や官僚や科学者のあなた

あなたの心を信じたい私がここにいます

 

 

 
  

エッセイ・新潟たより

① 黒森山トンネル(県外避難)

避難住宅制度(災害救助法による)の情報は、決して積極的には流されていない。

だから今も、福島県民で知らない人が多いと思う。

我が家の場合その情報は、妻が郡山の友人から聞いてきた。

県外の民間住宅家賃が月6万円まで補助になる。日赤から家電も

1式プレゼントされる。水道光熱費は自己負担だ。

われわれ被災者にとっては有難い話で、最初妻からこの話を聞いたとき、

実は「それは本当だろうか?」と耳を疑った。真偽を確かめたり、

我が家で実際その制度を利用するかどうか検討し、しばらく迷った。

その結果事故から1年が経ったころ、新潟の弥彦山の見える街にアパートを借りた。

新潟県の場合、不動産業者が良く世話してくれて手続きはごく簡単だった。

私たちの場合、妻の高齢になる父母を抱えている事もあって、

避難先に完全に住み続けるのは難しく、不定期に福島と新潟を

行き来することになった。

放射能の外部被曝を減らす事、そして汚染の少ない食べ物を食べて

内部被曝を減らす事で

体内放射能の蓄積量を減らす効果はあると考えている。

「被曝量は少なければ少ないほうが良い」と言われているし、

チエルノブイリの識者も「放射能をあなどるな」と言っているから、

それを実践しようというわけだ。

また低放射線量下から抜け出して、新世界を体感する事でストレス解消効果もある。

 行ったり来たりではあるが、70歳にして放射能に攻めたてられ、

ふるさとを離れて“異郷”で生活することになった。

そこでは新発見や新しい出会い、楽しみも多く、いろいろと考えさせられてもいる。

マイナス要素も多いが、なるべく前向きに、プラス思考でこれを機会に

北陸の生活を楽しもうと心している。

福島:新潟の車での移動距離約200kmは高齢者の域に入っている我々には、

正直に言うと少し重荷ではある。ただ、新潟避難の強力な勧誘者である妻が

、車の運転をあまり苦にしないし、夫婦の会話も車中で増えている事は

プラスと言えるだろう。

 ところで、磐越高速道はトンネルが多いのだが、福島と新潟の県境は

2760mの黒森山トンネルの中央部だ。その内カーブの壁には「福島:新潟県境」

と大書されている。

当然のことながら、そこを通るたびにその字が目に飛び込んでくる。

「ああ、ここから新潟だな。今回はどんな新潟が待っているかなぁ」

と車を進める。また帰りは、「ああ、福島、ふるさとに戻るのだな。

また放射能の中だな・・・」と通るたびに複雑な思いがよぎるのである。

仮設住宅 
  

 



 

 
 


2012年・年末雑感

晦日、妻と二本松市郊外の大型店舗に年越しの買い物に
でかけました。

原発事故や放射能などはどこ吹く風、銀座並みの人の波です。

4~5日前に歩いた郡山市でも、極めて穏やかな日常生活風景が

見られました。

 

そうです、この福島県中通りは低放射線量下にあるのですが、

多くの人は心の底に一抹の不安を抱えてはいるでしょうが

その日その日の暮らしに追われてこの年末を迎えているのです。

(半分は開き直って、あきらめているかもしれません)

 

低線量長期被曝の健康への影響は、公式には認められていないし

そのリスクもほとんど提示されません。

遠くに避難をしたり、心労を重ねながら注意深く生活をしている人達の苦労が杞憂だったかどうかは、時が自ずから答えを出す事でしょう。

ただ、チエルノブイリの26年目を見るなら、晴れ晴れとした気持ちで新たな年を迎えることが出来ないのは私ばかりではないでしょう。

 

 

 

低線量長期被曝 】 

つかみどころのない不思議なもの

色も臭いもなく見えません

音もなく、肌で感じる事もできません

それが放射能、低放射線

 

例えば事故後1年半のここ二本松

空間線量毎時0.7μsv、年間積算線量6.7msv

気にしなければ何もないと同じです

(健康に直ちに影響はありません)

次第になれて「大丈夫だ」と思いはじめています

 

あなたは放射能の存在を認めますか

低線量長期被曝の健康被害を認めますか

四半世紀後のチエルノブイリは

膨大な犠牲の下に何事かを語っています

 

つかみどころのない、この不思議なもの

あなたも体感してみますか

10年間ほど

家族連れで・・・

 

 

 

半減期

僕の人生の最終章を耕すように

僕は100坪の畑を借りて耕していました

大好きな安達太良山と阿武隈の山並みが見晴らせる素敵な場所で

 

ゴマ粒のような小さな種を播くと

黒い土に緑の芽が出てグングン伸びて

やがて花が咲いたり実がなったり

 

僕は時々台所に立って

取立ての野菜を料理して

自画自賛しながら食べます

 

20113月から

僕のそんな最終章は

がらりと変わりました

 

不安の内に種を蒔き、育て、収穫し

不安の内で放射能検査所に持込み

不安の内に口にするのです

 

こんなことがいつまで続くのでしょう

プルトニュームの半減期は24千年

僕の命は頑張ればあと20年かな

 
  
福島で起こった事

福島で起こった事は

チエルノブイリで起こった事

(四半世紀が経ちました)

チエルノブイリで起こっている事は

フクシマで起こりうる事

 

フクシマで起こりうる事の

最悪の事態を想定し

本当によくよく考え、行動すること

それが悲しい思いをする人を少なくする事

 

チエルノブイリや福島で起こった事は

どこの原発でも起こりうる事

そういうことに

私は思いをめぐらしませんでした

あの3.11までは