いっちゃんのひとり言 -3ページ目

礼儀・礼節の重要性

人として大切なことは何か。

それは親を敬う気持ちであり、家族を守ろうとする強い想いではないだろうか。

ビジネスパーソンとして大切なことは何か。

 

それは礼儀・礼節であり、挨拶の励行であり、時間を守ることであろう。

私は42年のビジネス歴の中から、最近上記のことの重要性をより深く理解できるようになってきた。

親は自分の子どもに対して、人様の前に出しても恥かしくないように礼儀・礼節をしっかりと教えるべきである。

世の中に出て恥をかくのは自分の子どもなのである。

特に自分より目上の人に会ったら、きちんとした挨拶ができなければ、目上の人からは「この子の親はしつけもできておらん」と思われてしまう。

礼儀・礼節の基本である挨拶は人としてのマナーである。

マナーを心得ていない者にビジネスでの成功はない。

私も過去に当社の社員であった女子社員の非礼な態度に、超大手企業の会長から厳しい叱責を頂いたことがあった。

田舎育ちの田舎のヤンキー娘でいい気になっていた彼女を私なりに厳しく指導をしていたが、少しばかり成績が上がっていることを鼻にかけて調子に乗っていたのであろう。

その会長から当該女子社員の言葉遣い、状況判断の悪さをこっぴどく指摘された。

社長としてこれ程恥かしいことはなかった。

本人の育ちの問題なのだ。

学歴よりも常識のある人間でなくてはいけない。

長幼の念の大切さすら、親から教っていなかったのであろう。

この経験から、私は気付いたら本人に直接はっきりと指摘することにした。

本当は先輩が後輩にそうしたことを教えるべきであるが、今の世代の若い人たちは礼儀・礼節の基本を知らない。

日本人の高い民度はどこへ行ってしまったのだろうか。

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サウナ室集合

最近のファーストヴィレッジ「特設経営者合宿」に行くと、当社の研修所の北軽井沢にある「エルウイング」の13Fの大浴場の朝のサウナ室はいつも満杯である。

サウナ室は向き合っての2段ずつの席であるが1段に3人が座わり、計12名で満席となる。

私が毎朝6時に大浴場に行くと、30代の若い経営者らがフルちんで直立して大声で私に朝の挨拶をしてくれる。

軽くシャワーを浴びて、水をしっかり飲んでからサウナ帽を被ってサウナ室へと入いる。

私が座わる一番奥の定位置だけが空いていて、あとの11席は若手経営者が既に座わっている。

当社の社員が私と会って直接話したいのなら、早朝のサウナ室に行くことだとお客様に教えているようだ。

サウナ室の窓から雄大な浅間山を見ながらゆっくりと汗をかく。

昨日の私の講義で感じたことを話し出す人もいる。

私のおもしろかったトークを再現してくれて、サウナ室の皆を笑わせてくれる人もいる。

初めて訪れてきてくれた若手経営者らが、北軽井沢の地でまったく初めて出会う人たちとサウナで裸の付き合いをする。

なんか偶然っておもしろいと思う。

日々の経営や仕事で疲れていた感情や身体がサウナ室でゆっくり、やさしく、ほぐれていくのがわかる。

13Fのサウナ室から憩うことで得られる豊かな気持ちはいったいなんなんだろうか。

皆が責任ある立場で日々頑張って仕事をしている。

色々な悩みや課題も抱えて経営をしている。

しかし、「特設経営者合宿」での私からの厳しい指導も、皆は納得して聞いている。

今までの自分のやり方でいいんだ。

間違ってなかったんだ。

65歳になるおっちゃんが30代の若手に向かって、びっちり汗をかきながらサウナ熱以上に熱く語るのがおもしろいらしい。

若者たちは実はしっかりと叱って欲しいのだ。

こっちが正しいことだと明確な方向性を示して欲しいのだとサウナ室で私は感じる。

 

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人生は因果律なり

人間は一人では生きていけないという事実。

私も多くのお客様、仲間、家族らに支えられて65年生きてきた。

18年前に立ち上げたファーストヴィレッジも、社員、友人、知人、家族、お客様に支えられてここまでやってきた。

木々は雨の日に根を伸ばし、晴れた日には幹を太くしていく。

人生もビジネスも木々と同じ。

辛い時が雨降りの時だとしたら、土の柔かい時に地中深く根を伸ばしたらいい。

根がしっかり伸びていたら、台風が来ても大丈夫だ。

調子のいい時が晴天の時ならば、思い切って天に向かって幹を太く上へ上へと伸びていったらいい。

人生山あり谷あり。

いい時もあれば悪い時もある。

しかし、大切なことはどんな状況になっても常に前向きに考えて生きることだ。

向き不向きよりも前向きであることだ。

締め切りまであと1週間もあると考えるか、あと1週間しかないから早めに手を打とうと考えるか。

ワインがグラスに半分しか残っていないと思うか、あと半分も残っているから楽しめると考えるか。

時と場合によって前向きの考え方は違ってきていい。

私は今、ここまで来れたのはプロのビジネスアスリートとして42年間1ミクロンもブレなかったからだと自負できる。

プロのビジネスアスリートであるためには「プロの条件」を満たしていなければならない。

それは成功するために準備に準備を重ねるということだ。

自分自身に負荷をかけて自分のスキルを磨くことだ。

人生は因果律。

もちろん運すらも一生懸命努力した人に味方をする。

私は心から信じていることがある。

それは、神様は努力している人に必ず報いてくれるということ。

いい加減な生き方をしている人間に神は天罰を下すのも事実。

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20世紀の振り返り・その2

1920年に国際連盟が発足したが、第一次世界大戦後の大恐慌は、1929年から1933年にかけて発生した。

世界的な経済不況となった。

米国が世界一の経済大国に成長したが、欧州の経済が復調して米国の輸出量が減少した。

よって米国では生産過剰となり、経済不安が広がった。

又、1929年にはニューヨーク株式市場が大暴落を引き起こした。

株価の暴落やマネーサプライの減少などの金融的要因、貿易規模の縮小や消費・設備投資・住宅投資の落ち込みなどの実質的要因が重なり、深刻な経済沈滞が発生した。

これが世界恐慌である。

世界は国際連盟により世界秩序を守ろうとしたが、その秩序は脆いものであった。

日本も大恐慌により強烈な打撃を受け、活路を対外膨張に見い出そうと考えた。

制御すべき日本の首相の権限は弱く、国際協調システムも脆弱であった。

そして、1931年9月18日に、中国・遼寧省の奉天(現・瀋陽)郊外で起きた線路の爆破事件をきっかけに、現地に駐屯していた日本軍(関東軍)が中国軍を攻撃し、中国東北部(満州)を日本の占領下に置いた。

これが満州事変である。

この満州事件が第2次世界大戦につながる「十五年戦争」の第1段階とされている。

1937年には中国との全面戦争(日中戦争)となる。

日本政府や日本軍は、日中戦争が解決しないのは、中国を後方より支える米国や英国のせいだと考え、国際連盟から脱退する。

日本は国際社会でも孤立していく。

又、1939年、ヒトラー率いる独国と、英国、仏国との間の戦争が始まった。(第二次世界大戦)。

欧州でも国際秩序への挑戦が起きたのである。

 

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20世紀の振り返り・その1

我々日本人は20世紀の歴史を正確に理解し、21世紀の今、日本人として何を世界平和のためにすべきかを考えねばならない。

先ずは、1870年代半ばから1914年まで欧米列強を中心として帝国主義のもと、領土や植民地の拡大を求めて海外へ進出したという事実を認識しなければならない。

例えば、英国や仏国は植民地を求めて海外へ進出をしていった。

結果としてアジアやアフリカなどが支配下におかれていった。

特にアフリカでは19世紀の後半に植民地化が進行した。

次に、そうした帝国主義の時代に、日本も植民地を持つべく海外進出を行なった。

1895年に日清戦争に勝利したことをきっかけに台湾を日本は領有した。

台湾に総督府を設置し植民地支配を進めた。

日本の領有により台湾は、鉄道や道路、港湾などのインフラの整備や教育制度の導入、農業の改良などの近代化政策が行われた。

そして、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて第一次世界大戦が起こった。

第一次世界大戦後に、帝国主義的な膨張を否定し、国際協調を目指す動きが生まれた。

1919年にパリ講和会議が開催され、ヴェルサイユ条約が締結された。

この条約において、独国の植民地の放棄、軍備の制限、賠償金の支払いが定められた。

又、国際平和の確保と各国間の協力を目指して国際連盟の設立も盛り込まれた。

国際連盟は1920年に42ヶ国が参加して発足した。

1921年から1922年にかけては米国が提案したワシントン会議が開催された。

英国や日本なども参加した。

この会議においては、東アジアと太平洋における列強間の平和維持を目的として、軍縮や各国の権益の調整が話し合われた。

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