仁王様タウンウォッチング(12月22日)
行程:井原鉄道井原駅(スタート)→起木薬師→仁王門→金鴫寺→金鋪寺→金敷寺→こいの川跡→出部(いずえ)公民館(昼食)→岩山神社→旧山陽道→旧井笠鉄道いづへ駅跡→いづえ駅標識→一里塚跡→井原鉄道いずえ駅(ゴール)。
井原鉄道井原駅からいずえ駅までのいにしえウォーク。平安期に作られた阿形、吽形の仁王様といずえの神社仏閣めぐりです。
起木薬師堂への途中にある、道しるべ
東 かみがた 北 いばら 西 かんおん とある。
起木薬師堂近くにある石碑。
宝暦13年(1763年)とある。
起木薬師堂え寄進の土地とあるようです。
起木薬師堂
1200年あまり前の奈良時代に高僧「行基」が金鋪寺を建てに来た時に、楠の大木が道をふさいで通ることができなかった。困った行基がふさぐのをやめてくれと、諭した。翌日倒れていた楠が起きて道をあけたことから「起木の薬師様」と呼ばれるようになった。(配布資料)
起木薬師堂の内部
起木薬師堂屋根の鬼瓦。
仁王門
木造金剛力士像(岡山県指定重要文化財)が安置してある。
右に阿形像 左に吽形像が安置してある。
木造金剛力士像(平安時代の作)
阿形像 高さ352cm 吽形像 高さ 360cm
桧材の寄木造り。保存状態もよく。形,製作技法などから平安時
代末期の作と推定されている。平安時代のこの像を含めて6例し
かない。岡山県下に残る平安仏の中でも最大の像。(配布資料)
木造金剛力士像の説明文。
木造金剛力士像。
左 阿形 右 吽形
金鋪寺(かなしくじ・井原市笹賀町)
天平9年(737年)聖武天皇の命によって、行基が建てた寺と伝えられている。当時は僧院12坊をもつ大きな寺であった。明治時代に無住の金鋪寺は廃止命令がでた。明治14年(1881年)信者が協力して改築したのが、現在の金鋪寺である。
金鋪寺への急な石段を上がります。
金鋪寺本堂
金鋪寺本堂境内の宝篋印塔
宝篋印塔はもとは、釈迦の宝篋印陀羅尼経というお経をおさめる石
塔のこと。
鎌倉時代中ごろから墓碑、追善塔として建てられようになった。
金鋪寺は江戸時代に火災などにより12坊の内、仁王坊、西之坊、新之坊、池之坊、上之坊、金庫坊の6坊だけになった。
明治23年(1890年)に西之坊、新之坊、池之坊、上之坊、金庫坊は
合併して金敷寺(かなしきじ)になった。
仁王坊は独立して金鴫寺(かなしぎじ)になった。(配布資料)
金鴫寺の石碑
金鴫寺の山門
金鴫寺本堂
金鴫寺本堂内部
金鴫寺の曼荼羅と宝篋印塔
金敷寺山門
金敷寺山門
金敷寺本堂
源泉。こいの川跡
宝篋印塔・曼荼羅。
岩山神社の鳥居
前に井原鉄道が見えます。(井原鉄道は高架鉄道)
岩山神社への入口。石段を上がっていきます。
岩山神社山門
岩山神社本殿
岩山神社から旧山陽道、旧井笠鉄道いづへ駅跡、いづへ駅標識、旧山陽道一里塚跡からゴールの井原鉄道いずえ駅まで歩きます。
旧井笠鉄道いづへ駅標識。
旧山陽道一里塚跡。
旧山陽道一里塚跡からは、井原鉄道いずえ駅まで歩き本日のウォーク終了です。