大怨霊 平将門 東国で崇敬される・・・平将門を訪ねて(4) ~大手町 将門塚 【東京・横浜探訪】
「坂東の炎 平将門の乱」のつづきです。
天慶3年(940)。
新皇・平将門は、平貞盛、藤原秀郷によって討たれました。
首がおとされ、京の都でさらし首となります。
将門の体は、茨城県坂東市に密かに葬られたとあります。
延命院には胴塚があります。
しかし将門を称えるものの声は絶えず、都から胴体をもとめて飛び去ったとうわさがまことしやかに流れたのでした。
そしてその首が力尽きて落ちたとされるのが、東京都千代田区大手町でした。
かつてここに塚が築かれていましたが、関東大震災を機に取り壊されました。
その後に役所が建てられます。
しかし大臣や職員が相次いで亡くなり、将門のタタリとされ、首塚は再建されます。
またアメリカの占領軍が首塚に手を出そうとしましたが、事故が相次ぎ、結果、今も残されることとなったのでした。
・・・
私がそこへ訪れたのは、雨の日でした。
ビルとビルの間にあるのが、首塚といわれる都旧跡「将門塚」です。
すでに先客がいました。
茂みになった先に傘が見えたのです。
ひとまず、近くまで歩み寄ります。
おやっと、思います。
人の気配がありません。
・・・
よくよく見ると、傘は、首塚の石燈篭にかけられていたものでした。
雨にうたれるのが忍びないと思った人が、かけていったのでしょうね。
活けられた華も新しいですね。
休日の官庁街に、ぽつり、ぽつりと、しかし、ひっきりなしに人がおとずれていました。
彼らは、さっとお参りをすると、すぐに去っていきました。
将門は余計な争いを好みませんでした。
敵を破っても、殺さずに逃した情け深いところがありました。
また捕虜を粗略に扱わず、すぐに解放したと伝えられています。
もともと朝廷に対しては謀反の気持ちはなく、かつて仕えていた藤原忠平とも懇意にし、紛争の度に京へ釈明をおこなっていました。
加え、農民たちを大切にしていました。
この評判により、将門の元には近隣諸国からその人柄を慕うものが集まってきたのでした。
悪党・藤原玄明が将門を頼って逃げ込んできたため、常陸国府と対立せざる得なくなったのです。
これによって朝廷に反旗を翻す結果となったと伝えられています。
朝廷の圧政に苦しむ人々が集まり、将門は痛切に感じるようになり、義挙することとなったのではないでしょうか。
将門は都において大怨霊として畏れられていました。
しかし東国では死後も人気を博していました。
朝廷が畏れたのは、平将門ではなく、
東国の民たちの不満が爆発することではなかったのでしょうか。
( ゜∋゜)
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しかし将門を称えるものの声は絶えず、都から胴体をもとめて飛び去ったとうわさがまことしやかに流れたのでした。
そしてその首が力尽きて落ちたとされるのが、東京都千代田区大手町でした。
かつてここに塚が築かれていましたが、関東大震災を機に取り壊されました。
その後に役所が建てられます。
しかし大臣や職員が相次いで亡くなり、将門のタタリとされ、首塚は再建されます。
またアメリカの占領軍が首塚に手を出そうとしましたが、事故が相次ぎ、結果、今も残されることとなったのでした。
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ひとまず、近くまで歩み寄ります。
おやっと、思います。
人の気配がありません。
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雨にうたれるのが忍びないと思った人が、かけていったのでしょうね。
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休日の官庁街に、ぽつり、ぽつりと、しかし、ひっきりなしに人がおとずれていました。
彼らは、さっとお参りをすると、すぐに去っていきました。
将門は余計な争いを好みませんでした。
敵を破っても、殺さずに逃した情け深いところがありました。
また捕虜を粗略に扱わず、すぐに解放したと伝えられています。
もともと朝廷に対しては謀反の気持ちはなく、かつて仕えていた藤原忠平とも懇意にし、紛争の度に京へ釈明をおこなっていました。
加え、農民たちを大切にしていました。
この評判により、将門の元には近隣諸国からその人柄を慕うものが集まってきたのでした。
悪党・藤原玄明が将門を頼って逃げ込んできたため、常陸国府と対立せざる得なくなったのです。
これによって朝廷に反旗を翻す結果となったと伝えられています。
朝廷の圧政に苦しむ人々が集まり、将門は痛切に感じるようになり、義挙することとなったのではないでしょうか。
将門は都において大怨霊として畏れられていました。
しかし東国では死後も人気を博していました。
東国の民たちの不満が爆発することではなかったのでしょうか。
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