ホンモノの力 ― 奈良、古都、神代の森の魅力 【動画あり】 千の風になって
何故、人は旅行をするのでしょうか。
ことに、今の時期、奈良は観光客でいっぱいです。
道路は渋滞します。
また奈良駅から奈良公園近辺は、観光客であふれかえります。
人ごみにまみれてしまいますね。
思うように身動きとれずにいて、いらいらしたり、グッタリと疲れてしまいますね。
そんな思いをするくらいなら、いっそ一歩も表にでずに家にいれば、楽ちんですよね。
テレビをみてゆっくりしていれば、なんの苦労もいりませんよね。
お金もつかうこともありませんよね。
だけど、人が、そこに集うのは、
そこに惹きつけてやまない、魅力があるのです。
それが、ホンモノの力。
先日、とあるショッピングセンターへいったときのことでした。
2階へあがると、大音量の歌が聞こえました。
聞こえてくるというよりも、怒涛の波のように階下へなだれこむといった方がいいかもしれません。
歌は「千の風になって」です。
歌っているのはLave&Peaceという男性1人に、女性二人のグループです。
思わず足をとめて聞き入っていました。
バックには楽団はなく、いわゆるカラオケのようなものでした。
次に「世界に一つだけの花」を歌い始めました。
普段、CDや、ラジオなどで耳にする歌です。
だけども彼らはSMAPでも秋川雅史でもありません。
しかし、その声量は、素人が歌うのと段違いです。
迫力があり、また、伸びやかです。
それが大音量にのってフロアへひろがっている様子は心地よいのひとことにつきます。
彼らを知ったのはこれが初めてでした。
彼らもプロとして活動しています。
CDやラジオなどでは体感できない生の歌声は、ホンモノの迫力でした。
さて、旅の目的は、簡単にいえば、気晴らしでしょう。
日常から離れ、異なる町を訪れ、そこの景色、名物にふれること。
それが心地よい刺激となるのです。
その中には、必ず、目当てなものがあるのです。
明確な目的意志をもっている人もいます。
「興福寺の美しい阿修羅像に会いたい!」
または、漠然と思う人もいます。
「うーーーん・・・
昔修学旅行に、奈良にいったよなぁ・・・
なんか、休みだけど、行くとこ思いつかないし、
鹿と大仏でも見に行こうか。」
それぞれ目的意識の差はあるのでしょう。
それでも共通して言えることは、
古(いにしえ)の匠がつくりあげ、今にも存続され、人々が愛でてきた財産。
それが、人を惹きつけてやまない、ホンモノの力なのです。
そのホンモノの力をもったものに出会いに、人は旅にでるのです。
三重県は伊勢神宮を訪れるたびに、西行の歌が脳裏によぎります。
「何事も おはしますをば 知らねども
かたじけなさの
涙 こぼるる」
西行の歌には、故知らぬものへの深い畏敬の情念がこめられています。
古くから日本人は神を信じることに、必ずしも起源や本質を明らかにせず、
ことさら教義を立てて説くことをしない傾向があります。
西行がこめた歌のように、ただ感ずるがままに畏れ、敬うのです。
それが人々の共感となっているのでしょう。
春日大社、そして春日山原始林を訪れると、心身に力が蘇るのが実感できます。
古くより神のおわす山としてあがめられ、
その姿を今も残す森には、ホンモノの力が宿っているのではないでしょうか。
ことに、今の時期、奈良は観光客でいっぱいです。
道路は渋滞します。
また奈良駅から奈良公園近辺は、観光客であふれかえります。
人ごみにまみれてしまいますね。
思うように身動きとれずにいて、いらいらしたり、グッタリと疲れてしまいますね。
そんな思いをするくらいなら、いっそ一歩も表にでずに家にいれば、楽ちんですよね。
テレビをみてゆっくりしていれば、なんの苦労もいりませんよね。
お金もつかうこともありませんよね。
だけど、人が、そこに集うのは、
そこに惹きつけてやまない、魅力があるのです。
それが、ホンモノの力。
先日、とあるショッピングセンターへいったときのことでした。
2階へあがると、大音量の歌が聞こえました。
聞こえてくるというよりも、怒涛の波のように階下へなだれこむといった方がいいかもしれません。
歌は「千の風になって」です。
歌っているのはLave&Peaceという男性1人に、女性二人のグループです。
思わず足をとめて聞き入っていました。
バックには楽団はなく、いわゆるカラオケのようなものでした。
次に「世界に一つだけの花」を歌い始めました。
普段、CDや、ラジオなどで耳にする歌です。
だけども彼らはSMAPでも秋川雅史でもありません。
しかし、その声量は、素人が歌うのと段違いです。
迫力があり、また、伸びやかです。
それが大音量にのってフロアへひろがっている様子は心地よいのひとことにつきます。
彼らを知ったのはこれが初めてでした。
彼らもプロとして活動しています。
CDやラジオなどでは体感できない生の歌声は、ホンモノの迫力でした。
さて、旅の目的は、簡単にいえば、気晴らしでしょう。
日常から離れ、異なる町を訪れ、そこの景色、名物にふれること。
それが心地よい刺激となるのです。
その中には、必ず、目当てなものがあるのです。
明確な目的意志をもっている人もいます。
「興福寺の美しい阿修羅像に会いたい!」
または、漠然と思う人もいます。
「うーーーん・・・
昔修学旅行に、奈良にいったよなぁ・・・
なんか、休みだけど、行くとこ思いつかないし、
鹿と大仏でも見に行こうか。」
それぞれ目的意識の差はあるのでしょう。
それでも共通して言えることは、
古(いにしえ)の匠がつくりあげ、今にも存続され、人々が愛でてきた財産。
それが、人を惹きつけてやまない、ホンモノの力なのです。
そのホンモノの力をもったものに出会いに、人は旅にでるのです。
三重県は伊勢神宮を訪れるたびに、西行の歌が脳裏によぎります。
「何事も おはしますをば 知らねども
かたじけなさの
涙 こぼるる」
西行の歌には、故知らぬものへの深い畏敬の情念がこめられています。
古くから日本人は神を信じることに、必ずしも起源や本質を明らかにせず、
ことさら教義を立てて説くことをしない傾向があります。
西行がこめた歌のように、ただ感ずるがままに畏れ、敬うのです。
それが人々の共感となっているのでしょう。
春日大社、そして春日山原始林を訪れると、心身に力が蘇るのが実感できます。
古くより神のおわす山としてあがめられ、
その姿を今も残す森には、ホンモノの力が宿っているのではないでしょうか。