〝火打石〟夫婦が島田市と磐田市で寺社めぐりした1月8日、この日
 
は天気が崩れて午後から雨が降り出したのですが、磐田市二之宮の
 
鹿苑神社さんを参詣して、中泉の府八幡宮さん(ウィキペディアならこちら
 
に向かう頃には本降りの雨になっていたショボーン…けれども〝火打石〟
 
夫婦の寺社めぐりは続くあせる。府八幡宮さんは以前に参詣しています
 
が、お参りは何度したって良いものニコニコ、あいにくの天気で境内に
 
私たち以外の参拝者は居ませんでしたが、夫婦二人で神様に掌を
 
合わせてきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 府八幡宮は、天平年間(729~748年)に遠江国司(現在の知事に
あたる)であった天武天皇の曽孫桜井王(さくらいおう)が、遠江国府の
守護として赴任された時、遠江国内がよく治まるようにと府内に奉られ
たのが、始まりです。
 
 遠江国府は、最初に現在の二之宮・御殿地区に勧請(かんじょう)
され、その後、見附地区に移転されるまでの間、一時、府八幡宮内に
置かれていた、と伝えられています。
 
 
 
府八幡宮さんのホームページ、「府八幡宮の紹介」のページ(こちら
 
から引用させていただきましたが、いただいた『府八幡宮略記』には、
 
“この桜井王が遠江国の国司(今の知事にあたる)として赴任された
 
時、国内がよく治まるようにと庁内に祭られたのが、この神社の始め
 
で、従って府八幡宮と称するのであると、社記に伝えられ、奈良平安
 
時代のものであると思われる社宝が現存する。桜井王の着任は、
 
一説では元正天皇の養老三年(七一九)か同年頃と考えられて
 
いる。”とあります。まぁざっくり8世紀前半の御創建と考えて良いの
 
かな?。遠江国の国府については、ウィキペディア「遠江国」を見て
 
みますと、“初期の国府は、木簡や墨書土器が出土したことから、
 
御殿・二之宮遺跡と推定されるが、決定的証拠は出ていない。平安
 
時代には見付に移転したと見られ、仁治3年(1242年)以後に成立
 
 
ある。”とあり、また国分寺は“国分寺は磐田市中泉にあった。819年
 
焼失したが、磐田市見付の参慶山延命院薬師国分寺(本尊:薬師
 
如来)がその法燈を伝承する。”と記されているのですが、磐田市中泉
 
は府八幡宮さんの御鎮座地ですね。(府八幡宮さんの御由緒について
 
は「由緒・祭神」のページ(こちら)もご覧になってください。ウィキの
 
国府八幡宮」のページも参照されたしあせる。) 御祭神は、八幡宮さん
 
ですから
 
 誉田別命 (ほんだわけのみこと。応神天皇「主祭神」)
 足仲彦命 (たらしなかひこのみこと。仲衷天皇「父親」)
 気長足姫命(おきながたらしひめのみこと。「母親」) ※「神功皇后
 
の三柱です。
 
 
 
 
鳥居を潜って進むと静岡県指定文化財の楼門が。(☜3番目の写真
 
参照  「天平の杜 全体案内図」も参照なさってください。)
 
 
 
 
 
 
 
☝こちらは中門。磐田市の指定文化財です。
 
 
 
☝拝殿
 
 
 
 
 
 
 
府八幡宮さんの御朱印はこちら↓(*^▽^*)
 
 
 
 
 
鹿苑神社さんの御朱印もこちらの社務所で授与していただきましたニコニコ
 
 
 
 
 
 
遠江國二之宮の鹿苑神社さん、府八幡宮さんと参詣して、古代の遠江
 
国の世界を垣間見た気分ニコニコ…“パワースポット巡礼”など、神社仏閣
 
をめぐる楽しみはいろいろありますが、〝火打石〟はこれが楽しい…
 
その歴史をたどってみることがあせる。専門家ではないのでごく粗くしか
 
たどれませんが、それでも寺社を参詣して、境内に掲示されている
 
由緒や縁起を読み、記事を書く時にはネットで情報を検索するのは
 
楽しいラブラブ。これからもできる限り神社仏閣の歴史をたどり、記事を
 
書いていきたいと思います(;^_^A。