浦和市桜区田島の御嶽神社さんを参詣して、その後田島氷川神社
 
さん、西堀氷川神社さん、萬福寺さんを参詣した〝火打石〟夫婦。
 
地元の方ならおわかりになると思いますが、ごく狭い範囲での寺社
 
めぐりになりますね(;^_^A。
 
 
 
 
この辺りは住宅街で、クルマでの移動はかえって不便ショボーン。参詣の
 
順はそんなこともあって田島の御嶽神社さんから西堀氷川神社さん、
 
萬福寺さん、最後にまた田島に戻って田島氷川神社さんとなったの
 
ですが、この参詣記は二社の氷川神社さんと萬福寺さんでUPさせて
 
いただきますねあせる
 
 
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田島氷川神社さんと西堀氷川神社さんは、西堀氷川神社さんの
 
「御由緒」の掲示に
 
 
また、『風土記稿』は当社について「氷川社一宮の男神女神を移し
祀れり、本地は観音なり、当社を上の宮といひ、隣村田島村の氷川社
を下の宮と称す」
 
 
という記述があります。(下の写真☟参照  )
 
 
 
(この文中にも“本地は観音なり”という本地垂迹説が出てきていますね。)
 
 
田島氷川神社さんの「御由緒」の掲示にも
 
 
氷川社 村の鎮守なり、社領七石の御朱印を賜ふ、当社を下の宮と
号し、西堀村の氷川社を上の宮と唱へり
―中略―
「下の宮」の呼称は現在でも通称として用いられているが、これに
ついては、かつて田島と西堀が一村であったころ、同村内にある二つ
の氷川社を区別するため、上下の呼称を用いるようになったという話
が伝えられている。
 
 
という記述があります。(下記写真参照 拡大してご覧になってくださいm(_ _ )m)
 
 
 
 
 
この二社の関係については、いつもお世話になっている“猫の
 
足あと”さんのページ(「田島氷川神社」「西堀氷川神社」)や、
 
“安風難風(あぶなぶ)”さんの「西堀と田島の氷川神社」のページ
 
こちら)に詳しい解説がありますので、興味を持たれた方はお読みに
 
なってくださいm(_ _ )m。〝火打石〟たちはこの三日の寺社めぐり、
 
新年会の後ということもあって、正直ろくに予定を組んでなかったん
 
ですよね叫び。なのでこの二社の氷川神社さんを続けて参詣できたのは
 
ラッキー音譜。(間に萬福寺さんを参詣していますが) 
 
 
 
 
「上の宮」の西堀氷川神社さんの写真☟ニコニコ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西堀氷川神社さんは、神社さんの「御由緒」に掲示によると、西堀の
 
鎮守として応永年間(一三九四-一四二八)に武蔵一宮の氷川神社
 
さんを勧請したお社とのこと。御本殿は、さいたま市の有形文化財に
 
指定されています。(こちら
 
 
 
 
 
境内には三峯神社さんのお社もニコニコ
 
 
 
 
 
 
 
 
☝狛犬…狼🐺入ってますよね??
 
 
 
 
 
 
☝こちらも狼🐺っぽいびっくり
 
 
 
 
 
☝桜の花が咲いていましたびっくり寒桜なのかな?←なんか違うような気が…
 
 
 
 
西堀氷川神社さんの御朱印はこちら☟(*^▽^*)
 
 
 
 
 
西堀氷川神社では御朱印をいただけたのですが、田島氷川神社さん
 
では残念ながら拝受できませんでしたショボーン。田島氷川神社さんは、
 
境内を掃除されていた方に伺ったところ、浦和区岸町の調神社さんの
 
兼務社となっているそうで、ならば調神社さんで(田島氷川神社さんの
 
御朱印を)拝受できるのかな?…“御朱印収集人”さんの「田島氷川
 
社」のページ(こちら)には―“収集人”さんも、〝火打石〟夫婦とほぼ
 
同じ状況だったようですね―「調神社に確認したところ残念ながら
 
御朱印の対応はしていない」と記されているのですが汗。次回はその
 
田島氷川神社さんと、萬福寺さん参詣の様子をUPいたしますねあせる