実家から自宅へ戻る四日、帰路ルートからはちょっと外れた横浜へ
寄り道…〝火打石〟が横浜美術館で「下村観山展」を観たがった
ためですが、夫は夫で計画を立てていて、まず参詣したのが“横浜
村の鎮守”(←ウィキ)、横浜市中区の厳島神社さん。
元来は洲干島(しゅうかんじま)とも呼ばれる入江の砂州上の寒村で
あった横浜村の更に先端にあり、洲干弁天社と称した。入江の伊豆国
土肥(現・静岡県伊豆市)から勧進したと伝えられる。 足利氏満は般若
心経を奉納、太田道灌は社殿を再建、徳川家光は朱印地を与えて
いる。
ウィキペディアからの引用ですが、“入江の砂州上の寒村であった横浜
村”という記述にグッと来てしまう〝火打石〟。そうなんですよね、昔は
東京だって武蔵野の原野…「武蔵野は 月の入るべき山もなし 草より
出でて 草にこそ入れ」、“東の鄙の女”を自認する“火打石”は大都会
のかつての姿を想像し感傷に浸ってしまう(;^_^A。厳島神社、その昔の
洲干弁天社さんの御祭神は宗像三女神(市杵島姫尊、多紀理姫尊、
多岐都姫尊)だそうですが、海辺の神社さんですものね。御朱印もいた
だいてまいりました(‐^▽^‐)。
厳島神社さんの次に夫が参詣したのは増徳院 さん。こちらのお寺さん
についてネットで調べてみると、ちょっと意外?な事実が…またまた
ウィキからの情報ですが、有名な横浜外国人墓地は“キリスト教形式
の墓石が多いため意外に思われることが多いが、元々は、現在の
元町にあった真言宗準別格本山増徳院の境内墓地であった。平成の
初期まで、当地では増徳院による供養も行われていた”のだそうです。
夫によれば増徳院さんの周辺は外国人居住区のようだったとのこと。
御朱印もいただいてまいりました(‐^▽^‐)。
増徳院さんの境内に地福寺 さんがあります。
高村光雲作の聖観世音像。
修行大師尊像。逆光になってしまいました(T_T)。
増徳院さん参詣後、浄光寺 さんへ伺おうとするもタイムアウト。
お写真だけ撮らせていただきました(;^_^A。時宗のお寺さんは
あまり参詣したことがないので、〝火打石〟も参詣したい!。
次回の横浜訪問時に期待することにします(*^▽^*)。
以上が年末年始の〝火打石〟夫婦の美術展鑑賞記&神社仏閣
めぐりとなります。年末の「スヌーピー展」から横浜寺社めぐり…
慌しかったですが充実した年末年始でした。この調子で1年頑張れ
ればいいな(*^▽^*)。