朴裕河『帝国の慰安婦』ワークショップ | Kenichiのブログ

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日付変わって昨日になりますが、以下の公開ワークショップに参加してきました。

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kikaku/2014/20150212_22_nikkan_workshop.pdf

もっとも会場は大ホールで、参加者は軽く100人を越える感じ。
一応質問用紙を受け付け、何枚かは内容を紹介してパネラーの返答もあったものの、こういうのをワークショップって言えるんでしょうかねえ~。
単に質問も受け付ける連名講演会に過ぎないような気も…。

まあそれはともかく、僕が久しぶりにこの種のイベントに参加したのは、もちろん『帝国の慰安婦』の著者朴裕河氏の話を直に聴きたかったから~。
以前もFBなどで紹介しましたが、韓国本国の世論から非難を浴びる覚悟で、慰安婦問題の捉え方を考えなおそうと提言した、勇気ある著書です。
ただし誤解なきように付け加えておきますが、日本の慰安婦否定論者のように「単なる売春婦だ」などと言っているのではありません。
「強制連行の被害者」か「自由意志の売春婦」か~という不毛な二元論に、あえて切り込んだアプローチです。
聴き取りも含めた実態分析から著者は、ひとくちに「慰安婦」といっても、いろんなケースがあったことを論証しました。
それなのに慰安婦問題否定派も肯定派も、自分たちに都合のよいケースだけを絶対化してるから、両者の議論は平行線をたどり、結局肝心な慰安婦経験者たちは救われない~。

実は僕も来月、某読書会で報告する予定なので、詳しくはその時期にアメブロに書いて、FBにもリンクさせるつもりです。
とりあえずここでは、ワークショップに参加した感想を、書いておきますね。

まず朴裕河氏は、思ったよりも小柄な女性だったですねえ。
この小さな身体のどこに、パワーが秘められているのでしょうー。
韓国のほとんど全国民をとりあえず敵に回しかねないような、困難な道を切り拓こうとするパワーが…。
ただ本人が最初に語った内容は、予め著書を読んでる人間には想定の範囲内。
裏話的な部分も、FBのフォロワーとしては、さほど目新しくもありませんでした。

むしろ注目は、彼女の勇気ある提言に対し、日本の論者がそれをどう受け止めようとしてるのか…。
ワークショップ以前に僕のイメージとしては、まず右派の慰安婦否定論者からの勘違いした歓迎。
一方これまで慰安婦支援をしてきた左派からは、「騙されるな」。
でも左派のなかでも一部は朴氏の提言を真摯に受け止め、そんな人たちが中心になって、今回のワークショップが催された感じです。

前に挙げたリンク元に名を連ねたパネラーのうち、司会の西成彦氏が価値中立的な物言いで何とかまとめようとするのに対し、上野千鶴子氏が運動者の立場から鋭くチェックを入れてたやり取りが印象的でした。
森岡正博氏は、男性の立場からあえてこのステージに上がった誠実さには感心。
彼が朴裕河氏のアプローチを「細く険しい路を選んだ」と評したのは同感です。
ただし彼の男性サイドから見た性行為観は、僕とはちょっと違うし、朴裕河氏ともズレる気がしますねえ。

もう一人平井和子氏は、日本人慰安婦について、戦後のGHQ慰安所なども視野に入れて研究してる人。
彼女は慰安婦問題を日朝を越えたフェミニズムの視野で語ろうとしていました。
それはむしろ慰安婦の実態をケースバイケースで語るべきだという朴裕河氏とは違うアプローチ。
そこを指摘する質問もありましたが、あまり深く掘り下げられませんでしたね。

まあ4時間余りの長丁場とはいえ、4人の気鋭が基調報告したうえのやり取りだから、論点が多過ぎてあまり深められなかったのかな~。
FBのようなネットメディアが発達するなか、あえて対面で討論する値打ちをどこに置くのか…。
ちょっと考えさせられました。
もっともそれは、来月僕が語る予定の読書会も同じこと。
まあこちらは報告者は一人だけなので、僕がどんな素材を提供出来るか~で、責任重大…。
もっとも数人でやってる小さな会ですけどね(笑)
とりあえずその素材を考える役にはたったワークショップでした。

それと補足ですが、最近の左派の運動がなぜ負け続けているか~という話が出たときのこと…。
森岡正博氏がこう言ってました。
「かつての「糾弾」的なやり方が有効な時代もあった。
でも今は、その発想の延長でやってると、相手との関係が切れてしまう…。」
今回のワークショップで、実はいちばん共感したのは、この発言でした。
~というのも、つい数日前に別のSNSで僕自身が、部落解放運動について書いていたからです。

「部落民でない人間に、その辛さがわかるか」という糾弾が有効だった時代と、相手との関係を切ってしまう時代…。

この表現が、実は某FB「友だち」とのリアル会話がベースになってるのは、本人はもちろん気付いてるはずですよね。
あちこちで、似たような考えを絞り出してる人がいる…。
朴裕河氏『帝国の慰安婦』も、ある意味そんな発想をベースにしてるような気もしました。