四階病棟の病室に戻って(続き1) | フェニックスの日記

フェニックスの日記

成人先天性心疾患(両大血管右室起始)で、
不惑の歳にフォンタン手術・TCPCコンバージョンを受けた
フェニックスの日記です。

どうも、フェニックスです。
昨日はブログ更新ができずすみませんでした。自分のペースで、少しずつ書き進めたいと思います。

今日は、前回記事の続きから書きます。回復・リハビリのフェーズ2の時期の話です。

この時期には、友人や会社の方とメールもできました。iPhoneの音声入力は、小声でもゆっくり話すと認識率は高く、便利でした。


一方で、ずっとベッドに横になっているために、背中や腰が痛くなりました。これは辛かったです。その影響もあってか、あまり熟睡できない日が多かったです。消灯が21時~22時と早かったことや、夜中も明るかったり、部屋の外の物音や声が聞こえてきたせいもあるかもしれません。
導眠剤のマイスリーは毎晩もらっていましたが、寝付けない日はナースコールを押して追加でもマイスリーをもらいました。それでも、明け方3時~4時に目が覚める日が多かったです。


メスを入れた心臓にはまだ負担が高いようで、じっとりした汗をかきました。また服用薬の調整中のために、血圧も高めでした。


手術後は水分制限がありました。はじめは一日1000ml(1L)。それが1500mlになり、手術後9日目には水分制限はなくなりました。ただし、飲んだ水分と尿の量は、退院まで記録し続けました。

体内の水分バランスと、むくみを見ながら、主治医が利尿剤を調整してくれるためです。ただ、夕食後に利尿剤を飲んだ時は、夜中にトイレに目が覚める回数が多く、あまり熟睡できなかったのが正直なところです。担当医の先生に話をしたら、ある程度むくみが落ち着いてきた段階で、夕食後の利尿剤はなくなりました。

〔写真〕水分量は、都度手書きでメモしました。
水分表

〔写真〕尿は、軽量カップを使って測ります。管理のためには仕方ありませんが、ちょっと面倒です。看護助手さんが、一日に2度ほど新しいものに交換してくれるのですが、最後の方は「尿カップ」が競馬の競争名か、どこかの地名のように聞こえてきました(笑)
尿カップ


このころは、少し動くと動悸がでやすくなりました。前に書いたようにドレーン(管)が抜けたために、動ける範囲が少しずつ広がったせいもあるかもしれません。ただ、家族とも長めの時間(1時間ほど)話続けると、疲れて息切れが始まる状態でした。
担当医に伺ったら、この時期は体内水分出すことが優先なので、比較的脱水に近い状態になっており、それも動悸の一因と説明いただきました。


手術後11日目には、担当医がエコー(超音波)を見て下さり、人工血管内の血液の流れも含めて、順調と言われ、安心しました。


回復・リハビリのフェーズ2の時期の話は、もう少し続きます。

それでは、また。