今月は、叔父二人が相次いで旅立ち、通夜・葬儀と参列して色んなことを思い出したりしました。
叔父たちの葬儀も、近年一番多いのではないかと思われる家族葬。
親戚や親しい人だけで、小さ目の会場で行われました。
これは、ふうちゃんの時に、私が選んだのと、似たり寄ったり。
ちょっと目新しかったのは、参列者から故人の思い出やメッセージを書く
寄せ書きやら、カードがあって、棺に一緒に収めていました。
参列した親戚が、「葬儀社によって色々あるね」と。。。
そう、どこの葬儀社さんにお願いするか、、、
お友達のお父様のように、完璧な遺影から費用や手配の詳細など、
すべてきっちり自分で用意する方もいらっしゃるようですが、
認知症とかの病気になっちゃったりすると、本人は無理だし、
家族も、そういう準備は気が引けるし、考えたくない、縁起が悪い、、と、。
ぎりぎりまで手つかずの状態になっちゃうかと。。
*** 我が家の場合はというと、、、
もう20年以上も前のこと、おとーさんが旅立った時、
葬儀を終えて、ふうちゃんが、ぽつんと言いました。
「人間、死ぬのもタダじゃないねえ。。」
まだ60代だったおとーさんは、癌で急に容態が悪くなって、あっという間に旅立ってしまい、
ふうちゃんも私も、葬儀の時は大変でした。
それから、間もなく、ふうちゃんは、その当時営業に来られた○助会の積み立てを始めました。
私への気遣いだったのだと思います。
ふうちゃんが、病気になったころ、積み立ての満期がやってきました。
ちょうど、症状が落ち着かず、苦労していた時で、満期のまま、ほったらかしで、
そのまま時間もなく数年過ぎました。
ふうちゃんの旅立ちが、遠い日ではないことがはっきりした時、
ある先輩から、「その時」が来たら、どうするか、まだ私の時間と体力の余裕がある間に、調べて決めておく方がよいとアドバイスされました。
おとーさんと最期のお別れの時に、手配や諸事に忙殺されてしまったことを思い出しました。
あの時はふうちゃんと二人だったけれど、今度はすべて、ひとり。
ふうちゃんが積み立てしていた所のサービス内容とお値段を確認して
もっと、我が家の条件にあったところに変更することにしました。
(積み立ては後日解約しました。 解約金とられましたけどね)
「旅立ちの時」には、悲しさや、精神的体力的な疲れもピークで、
非常に短時間に、大金を伴う判断をしていくのは大変。
現実的過ぎで、かなり重いアドバイスを敢えてしてくれた先輩に感謝しています。
おかげで、見送りの時間の質を、ある程度納得のいくものにできたと感じています。
(それでも、お茶飲んでる時間もロクにないくらいだったけれど。。)