葬儀屋さんのこと | ふうちゃんと見つける幸せのかけら

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2009年にレビー小体型認知症と診断された母。不思議な体験を続ける母とワーキングシングル介護の日々の生活で見つけた小さな幸せを綴り、2016年1月母の旅立ちを見送りました。

今月は、叔父二人が相次いで旅立ち、通夜・葬儀と参列して色んなことを思い出したりしました。

 

叔父たちの葬儀も、近年一番多いのではないかと思われる家族葬。

 

親戚や親しい人だけで、小さ目の会場で行われました。

 

これは、ふうちゃんの時に、私が選んだのと、似たり寄ったり。

 

ちょっと目新しかったのは、参列者から故人の思い出やメッセージを書く

 

寄せ書きやら、カードがあって、棺に一緒に収めていました。

 

参列した親戚が、「葬儀社によって色々あるね」と。。。

 

そう、どこの葬儀社さんにお願いするか、、、

 

お友達のお父様のように、完璧な遺影から費用や手配の詳細など、

 

すべてきっちり自分で用意する方もいらっしゃるようですが、

 

認知症とかの病気になっちゃったりすると、本人は無理だし、

 

家族も、そういう準備は気が引けるし、考えたくない、縁起が悪い、、と、。

 

ぎりぎりまで手つかずの状態になっちゃうかと。。

 

*** 我が家の場合はというと、、、

 

もう20年以上も前のこと、おとーさんが旅立った時、

 

葬儀を終えて、ふうちゃんが、ぽつんと言いました。

 

「人間、死ぬのもタダじゃないねえ。。」

 

まだ60代だったおとーさんは、癌で急に容態が悪くなって、あっという間に旅立ってしまい、

 

ふうちゃんも私も、葬儀の時は大変でした。

 

それから、間もなく、ふうちゃんは、その当時営業に来られた○助会の積み立てを始めました。

 

私への気遣いだったのだと思います。

 

ふうちゃんが、病気になったころ、積み立ての満期がやってきました。

 

ちょうど、症状が落ち着かず、苦労していた時で、満期のまま、ほったらかしで、

そのまま時間もなく数年過ぎました。

 

ふうちゃんの旅立ちが、遠い日ではないことがはっきりした時、

 

ある先輩から、「その時」が来たら、どうするか、まだ私の時間と体力の余裕がある間に、調べて決めておく方がよいとアドバイスされました。

 

おとーさんと最期のお別れの時に、手配や諸事に忙殺されてしまったことを思い出しました。

 

あの時はふうちゃんと二人だったけれど、今度はすべて、ひとり。

 

ふうちゃんが積み立てしていた所のサービス内容とお値段を確認して

 

もっと、我が家の条件にあったところに変更することにしました。

 

(積み立ては後日解約しました。 解約金とられましたけどね)

 

 

「旅立ちの時」には、悲しさや、精神的体力的な疲れもピークで、

 

非常に短時間に、大金を伴う判断をしていくのは大変。

 

現実的過ぎで、かなり重いアドバイスを敢えてしてくれた先輩に感謝しています。

 

おかげで、見送りの時間の質を、ある程度納得のいくものにできたと感じています。

 

(それでも、お茶飲んでる時間もロクにないくらいだったけれど。。)