自分とはなにか。


あらためて見つめてみましたよ。



自分とは


この体なのか


この体の中(おそらく?)で
感じていることなのか



そんなことを感じながら

ふと



この世界そのものが

表れている姿がすべて

自分なのではないか??



そんなインスピレーションが
溢れて来たのです。



別に言い換えれば

外側の世界への印象、

と言ってもいいのだけど

厳密に言うと、それもちょっと違う。




実はすべて内側で起きている?



そう言ってしまっても
良いのではないか??




向こうの世界から

無意識、無自覚に

引き出しているのではないか??







無意識のうちに

スカルプト(sculpt 彫刻)

しているのではないか??







そうだ。


無意識のうちに



求めるものを



呼び出し、



表しているのだ。







それはまるで

ファイナルファンタジーで
召喚魔獣を呼び出しているかのような


あるいは

映画マトリックスの
クライマックスに登場する
ズラーッとアイテムが並ぶ
武器庫のシーン。

無数にある選択肢の中から
求めるものをチョイスする。


そんな感じ。



そのような行為が

並行して別チャンネルで
行われているような。


どうも人生の
裏チャンネルがありそうな気配。




昨日も面白いことが起きた。




とある渋谷のレストランで。


メニューに
1ポンドステーキというのがあった。


いいな〜。
食べて見たいな〜。
その前にどんなものか見てみたいな〜。

食べるならハーフサイズかな〜

ハーフサイズってどのくらいかな〜。

なんか気になるな〜



そんな風に思っていたら。




しばらくして


隣の席に!!


ジュウジュウと音を立てて

ハーフサイズの1ポンドステーキが
やって来た!!




へ??


普通なら

あ、ステーキ来た〜。
美味しそう。


で終わるところだけども


こんなことを考えている
最中だったもので




お、現実書き換えた???


(あるいは)
あれ、現実用意してくれた??




そんな風に感じてしまったのです。



変な話ですが


自分には3人ぐらい??

大まかにいうと

3パートぐらいあるのではないかと。





この体に入って体験している私と



この体のすぐそば、傍にいて、
このスクリーンの現実を書き換えたり、
コントロール、創造している私と



よくわからないけど、
それを俯瞰して見ている私。




そんな感覚を今、
楽しんでいます。



それぞれには
いろんなところで
いろんな名前が
つけられていますけれども。


ここでは

ぜーんぶ私、という表現が

しっくり来ます。



今ここで表現しているのは、

体に入って体験している私。




3つ目の

「 俯瞰して見ている私 」

は、


『 観察者 』


と、言って見てもいいでしょう。


私が私として

存在しうるための




観察者。





見る者ですね。





さて!!



そろそろ


「 見られる者 」


として、
踊らされるのは
終わりにしましょうか!!





これからは


観たい世界

体験したい世界を


自らが選択できる世界へ。


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門の向こうには何が見える?
何が見たい??




もう世界は移行していますよ。グラサングラサングラサン