「私の気持ちはわからんよ」
思うようにコントロールがつかない病気に、やや興奮気味のAちゃんのコトバ。
返すコトバがなかった。
ショックでした。
自分に対して。
その通りだと思ったから。
病気知らずに過ごしてきた私です。その分、患者としての経験がない分、想像と妄想は強い方と思ってました。
「私がもし患者ならこんなことはされたくない・こう対応してもらえたら嬉しいなぁ」って感じで。
何事も、私が相手だったら・・・・で仕事をしてきたつもりでした。
でも、それは私が看護する側としてケアする場面だけだったと教えてくれたんです。
治療すること(療養生活をすること)は当たり前のこと、教科書通りの自己管理ができていないから悪化するんだ・・・とどこかで思っていたんですよね。なりたくてなる人なんかいないのに。
ほかの方のコトバだったなら
「想像するようにしているけど、やはり私は病気じゃないもん、本当の気持ちはわからないよ」って思ってたと思います。
よくなりたいと思う当たり前の感情、しかし結果を得られないというもどかしさ。
すべき行動はわかっていても継続できない自分へのいらだち。
治療を継続することがどれだけ大変なことなのかわかってなかった。
おそらくAちゃんがくれたコトバだったから気付かせてもらえたんだと思います。
私に教科書通りの生活が送れるか
・・・・無理です、人には言ってるのにね。
やはり友達とランチやお茶しに飲みにだって行きたいです。
そんな流れになった時、一人断れるか・・・・断れないと思います。
付き合い悪い子って思われたくないし、ホントは行きたいんだもん。
で、行ったら行ったで、好ましくないことだとわかっているから、断れなかった自分に落ち込むんですよね。
検査結果が悪かったら、身に覚えもあるし、検査受けるのも嫌だろうな。病院行くのも嫌だろうな。
想像しやすかったんですよね、同じ空間を共有してた時があったから。
それからずっと考えてます。
Aちゃんにあのコトバを言わせてしまったこと。
「しょこらさんはわかってないよ、私みたいな患者の気持ちが」ってことだけなら私個人が受け止めなくてはならないことです。慢性期疾患に対しての勉強不足ですから。
気付かせてもらったように、それまでの私の関わり方は教科書通りの答えだったと思います。すでに、何人にも言われてきたことを言ってるだけ。本人もわかっている・知っていることを話してただけではないかと。
でも、一方で日頃から言えてたのかなAちゃん。 て思い。
「誰にもわからないよ、なんとかしたいけど結果のついてこない終わりのない病気になった私の気持ち」という意味だったかもしれません。
残念ながらAちゃんに真意を聞くことはできません。
Aちゃんが入院していた時は、どうしても自分の感情があふれ出てくる分、その場その場に対応してくことでいっぱいで、ショックはあったものの、なぜショックと感じたのかを考えている余裕がありませんでした。
Aちゃんはその後、もう2度と会うことができなくなってしまいました。
そうなって初めてあのコトバがよみがえってきたんです。
どんな思いで言ったんだろう、言わなきゃって思った背景には何かあったんじゃないかな。
聞けないからに答えが出ません。
出ないからこそいつまででも考え続けられるのかもしれません。
私もいつ糖尿病にならないとも限らないじゃないか
お手本にしてもらえるほど褒められた生活してないのになに偉そうに言ってんだ私
「原因がわかってるのになんでできないって言われるからなにも言えないんだ。うまくいかないのがつらいんだ」って思いを吐き出せるような人がいてもいいじゃないか、必要ではないのかな。
医療者が答えを出さなきゃいけないのかな、患者さんはそれに従わないといけないのかな、言われたことができないとダメな患者さん??…違うよなぁ。。
一緒に悩んだっていいじゃない、一緒に悩んでくれる人がいたっていいじゃない。。。
もっと知らなきゃ・知りたい、、、まだまだ勉強始めたばかりです。
でもね、知りたいと思えることがあるって幸せだと思うのです。