てるです。

今日は毎週火曜日の午前中に開催中の「ぴあ研」に参加をしました。

詳しくはこちら→http://ameblo.jp/magicul/entry-11927174170.html


統合失調症ってよく聞くけど、実際どんなことが原因なのか?どう関わることが必要なのか?本人のつらさはどんなことにあるのか?など本当の所の理解ってまだまだだなと思っています。

くくりが広すぎて、ぼんやりしかわからない。というのが本音でした。

たまたま居合わせた偶然もあって、今日はぴあ研に参加。


前半は活動についての話が中心でした。そもそもフィバ研とぴあ研ってなにが違うの?という話もありました。

ぴあ研の場合はなんとなく、スタートに統合失調症のことがあり、それに対してのピアサポートの場も併せ持つということがあると思います。

実際やっていることや大切にしていることは一緒のような気がします。

フィバ研だってスタートはピアサポートの様なものでしたしね。

若者たちの今まで感じてきた違和感が積もり積もって、おしゃべり会として発展してきたのがフィバ研だと僕は思っています。


後半は統合失調症の理解についての本を使いながら統合失調症について共通理解を深めました。

統合失調症には、言い表せない大きな不安があり、それが社会との障がいになっているとのこと。

社会通念上考えにくい考え方(近所に止まっている車が他の人に用事があるのではなく、自分を監視しに来ている。など)になってしまったり、どんどん大きくなるにあたって、幻覚や幻聴につながってしまいます。

本当に導入部分しか、今日はできませんでしたが、整理につながったように思います。


今日の僕の気づきのメインは「共通認識を深める」ということでした。

ヒトコトで表されたり、何気なく使っている言葉の一つひとつに、その人が感じていること、その人が感じてきたことが凝縮されています。

それは発信する場合はもちろん、受け取る時も同じように自分の背景をベースにして受け取っていると思います。

だからこそ一つひとつ確認したり、「それは○○ということ?」という共通認識を探す作業が重要だと思うのです。

今日のぴあ研でも、統合失調症ということに対しての知識はばらばらだし、認識も違いました。たぶん、いろいろな専門家がいても認識はばらばらだと思います。

ましてや当事者もいれば、全然知らない人がいる中なので、お互いに感じていることを伝え合うのですから、それはもう大変な作業だと思うのです。

しかし、そこでフィードバックしたり、自分の意見を大切にすることを止めてしまっては、なにか教科書を使用しての学習となんら変わりません。

やっぱりフィバすることの醍醐味は、自分のことや認識を知ることができるということだと思います。

なかなか訓練しないと、外の情報を疑わずに享受するということにつながっていまう、というかそういうことに慣れてしまっている人が多い世の中です。実際僕もそうです。疑問なんか微塵も感じません。だって感じる必要を感じないんだから。

最初は「適切なフィードバック=自己否定」に考えてしまいがちですが、醍醐味を感じると気づくことがいっぱいできて楽しくなります。


結局フィバ研の宣伝でした。

フィバ研は特別な道具は必要ありません。フィバする人同士が集まればそれでいいのです。