ここ数年にないくらい、梅雨時期に雨が降り続けてますね^^;

少し前は、梅雨時期には雨が降らなかったように思います。

梅雨だから、当たり前だろ!と言われたら、
そうなんですが…

これだけ練習出来ないと、少し出来るようになったこともすっかり忘れてしまっていることでしょう  笑

小学生年代の指導は、とても難しい^^;
言葉での指導、実践指導もしなければいけません。

実践でいえば、コーチが出来なかったら、シャレになりません^^;


だから、暇を見つけては練習もしたいのですが、
なかなか時間が…

時間は作るものだとはわかっていますが、今もし作れるとしたら、夜中かも^^;


実践指導もそうですが、言葉でも、工夫が必要です。

最近はとても少なくなってきましたが、試合や練習で、怒鳴り散らす指導は指導ではありません。

子供達とコミュニケーションをしっかりと取る必要もあります。



わかってもらいたいことが「100」あるとしたら、相手のことをわかろうとすることも「100」必要な気がします。

海外に行って、道に迷ってホテルに帰れなくなって、その辺の人に片言の英語で道を尋ねる時、多くの人は、「わかってもらう」ことを一生懸命するのと同時に、相手の言うことも一生懸命わかろうとするはずなんですね。

「わからないこと」が当たり前にある状況と関係なので、一方的に、「俺がつたない英語で一生懸命聞いているんだから、その辺の事情を汲んで、親切にわかりやすく道を教えろや!」なんてことを思う人はいない。

でも、これが「わかりあえることが当たり前」な日本人で、「わかってくれることが当たり前」な身近な人になると、とたんにその「わかってもらう為の努力」をしなくなってしまうわけです(^^;;


「わかってくれ!」って言うのは簡単です。

でも、わかってもらうのは簡単ではない。

コミュニケーションっていうのはそういうもんだ、ってことを理解しておいたほうが良いですね。

とくに、子供達と私達大人では、経験の差や考え方に大きなギャップがあり、そのギャップを埋めていく作業がとても大切な仕事になります。

だからといって、過保護にしろということではありません。

時には叱ることも必要です。

問題なのは、その叱り方。
感情のままに叱る、思い通りにならないから叱るでは、子供達はついて来てはくれません。

自分が気をつけているのは、叱る対象を叱られるようなことをした個人に向けるのではなく、
叱られるようなこと自体を対象にしています。

例えば、アンパンマン  笑
アンパンマンはいつも、バイキンマンと戦いますが、「バイキンマン、許さないぞ!」ではなく、
「バイキンマン、イタズラしたな、許さないぞ!」と叱ります。

つまり、イタズラしたバイキンマンを叱るのではなく、バイキンマンのしたイタズラがいけないことだから叱っています。

このような叱り方だと、子供達も、何がいけなかったのかがわかると思うし、何より、自分を否定されていないので、信頼関係を築くことも出来るのではないかと思います。


人間ですから、時には、感情的になることもあります…

感極まって、涙することや、わかって欲しくて、キツく言うこともある。


でもそこに愛情が感じられるなら、後に引かない。




どこの指導者も、根底にあるのは、子供達のこと。




それがないなら、指導者なんてやってない。