大変遅くなりましたが、明けましておめでとう御座います。
ブログに書きたい事が沢山あったはずなのに、色々あって書けないままでした。
私何が書きたかったんだっけw
とりあえず、自分自身が忘れない意味も含めて近況報告でも。
しょっぱなから暗い内容となってしまいますが、12/1沖縄の実家に住む母が倒れました。
普段母とかお母さんとか呼ばないから、なんだか書き難いな・・・。
我が家では普段お母さんの事を名前で呼ぶので、ここでも何か呼び名をつけよう。
うちのお母さんは探し物が得意で、何故か隠し事とかも知ってて、やけに勘が良くて、気がつくと変な失敗とかしてるところをいつも目撃してる。
そう、例えるのなら【市原悦子さん演じる 家政婦は見た!】みたいな感じの人w
親父とそんな話をして笑った記憶があります。
ってわけで、役名がわからないので市原悦子さんからとって【悦子さん】と呼びましょうか。
朝5時頃だったかな。いきなりお兄ちゃんから携帯に電話がかかってきて
「落ち着いて聞いて。悦子さんが倒れた」
と言われた。
寧ろお兄ちゃんに『落ち着け』って言いたいくらい、声が動揺してた。
こういう時って女よりも男の方が弱いよなぁとか、寝ぼけながら考えていたのを覚えてる。
昔から明け方にかかってくる電話やメールは、良い事ひとつもねぇなぁと思い、過去の嫌な記憶を思い出したのも覚えてる。
もう何年もたってるのに、嫌なもんだ。
私も動揺してたのかな。
お兄ちゃんの話によると、普段は別々の部屋で寝ている親父と悦子さんですが、親父の部屋でTVを見ながら寝てしまい、親父も酔いつぶれて一緒に寝ていたらしい。
明け方親父がトイレに起きると、なにやら布団が冷たい。
なんだろうと思ったら、悦子さんが失禁していたので、おねしょしたのかと思い起こそうとした。
ところが声をかけても、身体を揺すっても悦子さんは目を覚まさず、これはおかしいと思い、即刻救急車を呼んだ。
うちの実家は1Fにお兄ちゃん、2Fに親父と悦子さんが生活していて、家の中に階段はなく、外階段のみなので、お兄ちゃんは救急車が到着してからはじめて悦子さんが倒れた事を知ったそうな。
病院について色々検査したところ、脳内出血が見つかり、手術をするかもしれないので私に電話したらしい。
出血場所があまり良くなく、脳幹の近く。
このまま出血が止まれば手術なし。
出血が止まらなければ、命にかかわるので手術。
手術してもしなくても、出血の位置から左半身に麻痺が残ると言われた。
結局出血は止まらず、手術し、無事成功して一命はとり止めた。
飛行機のチケットが取れず、すぐ沖縄に帰る事ができなかった私は、一人家に居ると気が狂ってしまいそうだったので、普通にバイトに行ってた。
何かやっていないと悦子さんの事ばっかり考えてしまい、バイトが終わって家に帰って来たら、泣いてばっかりだった。
私が小学校2年の時に悦子さんは病気になって、身体を思うように動かせなくなった。
はじめはただの腱鞘炎だと思っていたのに、歩くこともできなく、寝返りさえ自分でうてなくなった。
お風呂に入るのも、トイレも、手助けが必要。
私が髪を洗うのが大変だろうからって事で、自慢の腰まであった長い髪を切ってしまった時はショックだったなぁ。
まだ小学生だった私にむかって涙を流しながら「死にたい」って言った事もあった。
『それでも私は生きていて欲しい』と言って一緒に泣いた。
お医者さんが
「いずれ痛みを感じにくくなります。でもそれは病気が治ったからではなく、身体が痛みに慣れていくからです」
と言っていたとおり、悦子さんは病状は進んだけれど、年々動けるようになっていった。
寝返りをうつことも、立ち上がることも、歩くことも自分で出来るようになったし、びっくりするくらい元気に、普通に生活してた。
痛みが無くなったわけでは無いけれど、痛みに耐えながら生活できてた。
神様がいるとしたら、とっても不公平だよね。
頑張って生きてる悦子さんに、また病気ですか・・・。
もう年齢も70近いし、いつかはこういう病気になるかもしれない。
若い人もなる病気だっていうのはわかっているけれど、なじりたくなる。
11月に、私が住む三重県に遊びに来たばっかりなんだよ。
一緒に散歩したり、ご飯食べたり、温泉行ったりしたんだよ。
凄く元気だったんだ。
いっぱい話して、いっぱい笑って、また遊びに来たいって言ってたんだ。
デジカメ持って出かけるの忘れて、写真殆ど撮らなかった。
私方向音痴だから、殆どどこも連れて行ってあげられなかった。
元気なうちに、自分で動けるうちに、もっとあっちこっち連れて行ってあげれば良かった。
飛行機のチケットが取れて、沖縄に帰ったのは12/13だったかな。
なんだか記憶があやふや。
一人だと電車さえまともに乗れない私。毎日仕事が忙しくて残業ばっかりの旦那が有給とって一緒に沖縄に帰ってくれました。
嬉しかった。心強かった。頼もしかった。
沖縄について、空港から病院に直行。
悦子さんは寝てた。
点滴とか、なんだかわからないコードが身体のあっちこっちにたくさん。
右手や右足はしょっちゅう動かすのに、左半分が全く動いてない。
隣のベッドの人の咳が気になるのか、たまに目を開けてキョロキョロ。
視点があってない。どこを見てるのかわからない。
『悦子さん!』って声をかけても、聞こえていないのか目を閉じる。
そんな事が何度かあった後、悦子さんが何かブツブツ言ってるので、顔を近づけて聞いてみたら
「トイレ」
と言われた。
急いで看護師さんを呼びに行くと
「まだ歩く事は出来ないので、おむつをつけています。もしかしたらおむつがぬれてるのかもしれないから、チェックしてみますね」
と言われた。
そうだよね、まだ歩けないよね。
その後も何度か「トイレ」って言ってた。
沖縄に居たのは二泊三日だったか三泊四日だったか・・・。
その間に悦子さんが言った言葉は
「トイレ」
「トイレしたい」
「おなかすいた」
「親父は?」
この四つ。
親父方の祖母も脳内出血になった事があるので、大体どんな症状かはわかっていたけど、自分の親が、大好きな悦子さんが実際こうなってるのを見たら涙が出た。
旦那はもっと症状が軽いと思っていたらしく、旦那も泣いてた。
前日からご飯もはじまったらしく、看護師さんが悦子さんにご飯を食べさせてくれた。
固形物が一切無い。
おかゆも米粒が無い。
おかずも、スープも、お茶も、それぞれミキサーにかけたものにとろみをつけた感じ。
それでも美味しいみたいで、途中居眠りしたりしながらも完食。
次の日は、私が悦子さんにご飯をあげた。
小学生の頃に戻ったみたいで、なんだか懐かしかった。
ご飯をあげながら、涙が出てきた。
病院の面会時間が夕方からと決まっていたので、昼間は旦那と気分転換に美浜に行ったりした。
ずっと気分が沈んだままだったので、良かった。
旦那が階段で転んだ時はびっくりしたなぁ。
毎日夜遅くまで仕事してたもんね。
疲れてるのにありがたかった。