星詠みの庭

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東洋占術を中心にしたブログです

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去る10月7日木曜日、

ようやくワクチン接種第一回を終えました。

 

初めてのワクチンだったので

(それ以前もインフルエンザなどのワクチン経験は無い)

当日、「ワクチンを打って問題はないか」

というお題で断易を執り行いました。

 

先月にも卦を出していたのですが、やはり直前の方が

験がありそうだ、という事で夕方の接種を控え、

巳の時に神蓍を振り、易神に問うてみたわけです。

 

そんな中、暦を見てハタと気付きました。

実は月の節入りには二種類あり、

ひとつは「定気法」ひとつは「恒気法」。

 

一般的な暦では「定気法」の方を使用している事が多く、

「恒気法」は、私が受講し、玄流九星術を教えて下さった

大石眞行先生が推奨しているものです。

 

そして、この10月、二十四節気「寒露」の節入りは

「恒気法」では6日PM22:46

「定気法」では8日AM10:41

 

そう。私のワクチンを打つ事を占った7日は

「恒気法」ではすでに「戊戌月」に入っており、

「定気法」では、まだ「丁酉月」の範囲内なわけです。

 

月の十二支と日の十二支は断易にとって非常に大事な

判断の要となる要素で、このように節入りのタイミングが

違うと月支からの影響も変わってしまうのです。

 

なかなか興味深い結果が出ているので、

今回こうしてブログにしたためる事にしました。

出た卦は火水未済不変。

 

 

 

 

ここでは「世爻」と「官鬼」を主に見て行きますが、

注目すべきはトラブル、病気をあらわす「官鬼」が

世爻の下に伏している。すなわち「伏神」という状態。

 

これを、「定気法」の場合の「丁酉月」の範囲で

見ると、「世爻午火」は「空亡」になっており、

かつ日の子水から「剋」と「冲」を受けて非常に弱い。

 

そして伏している「官鬼亥水」は月の酉金から

生じられ、日の子水と同じ水の五行で非常に強い。

おまけにこの亥水が本卦の午火を剋しています。

 

こうした場合この強い「官鬼」が飛び出してきて

猛威を振るう事になり、不吉な様相を呈しています。

 

 

一方、「恒気法」ですでに「戊戌月」に変わっている、

として考えると、本家の「世爻午火」は弱い事に

変わりはありません。

伏している「官鬼亥水」を見ると、日の子水と

同じ五行で強い事は強いですが、先程と事情は違い、

月の「戌土」から剋を受ける事になります。

 

完全に最強状態ではないため、「官鬼亥水」は

この伏した状態から抜け出せそうで抜け出せず、

本卦「世爻」に影響を及ぼす事は出来ない、

と判断できます。

 

 

・「定気法」ではトラブル、病気の意味を持つ

「官鬼」の力が強いので、ワクチンを打つ事で

副反応などが出てしまう判断。

 

・「恒気法」では「官鬼」は力を発揮しそうでしないので、

副反応などもなく、無事である、と判断。

 

この二通りの結果が想定される事になりました。

 

 

 

さて、結果はと言いますと、

副反応はほぼ出ませんでした。

 

「ほぼ」というのは、注射した箇所の痛み、

そしてごく軽いだるさだけです。

 

この結果からすると、少なくとも今回のケースでは

「恒気法」に軍配が上がる、と言えると思います。

 

ちなみに周辺情報的な事ですけれども、

自分自身の「世爻午火」には

「ケガ」や「刃傷沙汰」を示す「白虎」「羊刃」が付き、

「注射を打つ」情報が出ていたようです。

 

更に言えば、「恒気法」の「戌月」ならば、

同じく「世爻午火」には「天医(天喜)」が付きます。

その字の通り、病占には吉の情報です。

 

 

このような事があったわけですが、

そもそも未熟者の私の占断を以って

「定気法」「恒気法」の優劣を

決定してしまうのは早急な気もしますし、

卦の判断も、何か見落としている事があるかも知れません。

 

 

第一、本来この節入り付近には占わない方が良い、と

言われています。

 

私も普段は節入り日には用いないんですが、

なんせワクチンを初接種、という

自分の一大イベントだったゆえ、真剣さも手伝って

きちんとした卦を易神さまが授けて下さったのでは、と

思っています。

 

断易は本当に面白いです。

 

 

 

今回は占いの話ではありません。
他愛もない話ですが、よろしければ。


あれは約12年前くらいでしたか。

当時、自転車で3~4分の場所にファミレスがあり、
そこで深夜に食事した後、占術の勉強をするのが
習慣になっていました。

深夜にハンバーグセットなど、
一発1000キロカロリー越えの食事をしていたので
まぁ太りました(笑)


そんなある日、いつものように食事を済ませて
占いの本とノートを広げて没頭。

しばらくして、ちょうど後ろの席に
二人の男性が座っている事に気付きました。

いや、私が席に着く前から居たのかも。


深夜のファミレスを選んでいたのは、
なによりもお客が少なく、
多少長居をしても問題ないからです。
のんびりと占いの世界にどっぷり浸る事が出来ました。

しかし、反面、二人以上のお客が近くにいる場合、
会話がより聞こえやすくなります。
しかも、当時そのお店では、席ごとの仕切りは低く、
声を妨げない環境。


その男性二人の会話も、真後ろで背中を向けて座ってる
私にも良く聞こえて来る。

とはいえ、本に集中していたので
会話そのものには意識していませんでした。


…しかし、あるキーワードが出てから、
思わず二人の会話に意識を向ける事になります。

話の内容からパズルを埋めるように
脳内で組み立ててゆくと、どうやらお二人は

「太極拳の先生」と

「気功の先生」

のようでした。


何故か「中国占術」を嗜んでいる人は
「中国拳法」にもアンテナが及んでいる事が多い。

「私調べ」という極めて信憑性に欠ける説を
提唱させていただきます(笑)

易の八卦を冠した「八卦掌」という
拳法もあるくらいですからね。

私も「拳児」という一大中国拳法スペクタル巨編漫画を
通読して涙したクチです。


「気功」についても、いわゆる中国五術、
「命」「卜」「相」「医」「山」のうち、
「山」に属するのではないか、という分野。


その太極拳、気功を教えている先生方の会話、
という事でおのずと意識が二人に向くのは
無理からぬことです。



太極拳の先生(以下、太極拳)
「・・・まぁ、そういうわけで
ちょっと困ってるんですよねぇ」

気功の先生(以下、気功)
「なるほど・・・。それは大変ですねぇ」


どうやら、太極拳の教室に
自称「守護霊とつながってる」という
女性がいて、他の生徒と揉めて困っているようでした。


太極拳「その女性、この教室には
    悪い霊がたくさんいるから、
    それを連れてくる他の生徒を辞めさせてくれ、
    って言うんですよ」

気功 「ほうほう」

私 「・・・。」


太極拳「でね、その守護霊というのが、
    大天使ミカエル様との事で・・・。」

気功 「ははぁ・・・。」

私 (ははぁ・・・。)

太極拳「そこで言ったんですよ。

    そのミカエル様に来てもらって、
    悪い霊を払ってくださいよ、と」

気功 「ふむふむ」

私 (ふむふむ)


太極拳「すると、やってみようとするんですけど、
    そのうちウーンウーンと唸りだして

    気分悪そうにして、「やっぱ無理です」と。
    なんでも、悪霊の数が多すぎてミカエル様も
    やって来れないのだそうです(笑)」

気功 「なんですかソレ(笑)」

私 ((笑))

太極拳「おかしいですよね。いや、私詳しくないですけど、
    ミカエルって大天使なんですよね?
    その大天使が、いち教室にはびこる悪霊ごときに
    後れを取る事なんてあります?」

気功 「たしかに・・・。」

私 (たしかに・・・。)


気功「なんというか、女性も10代後半や

   20代前半とか若い頃だと、

   そういう妄想みたいなのありますよねぇ」

私 (ですよね~)



太極拳「いや、その女性・・・50代なんですよ

気功 「えっ!!!」

私 (えっ!!!)



いや~、危ない。正直危なかったです。

完全に会話に聞き入っていた為、
その女性が意外な年齢だった事に
思わず驚きが口をついて出てしまいそうになりました(笑)

後ろで聞き耳立てていた事がバレる所でした(笑)


その女性は家庭環境の影響で、
そのような事になってしまったのだろう、
と太極拳の先生は言っていました。


いや~、しかし、隣の席の会話に
うっかりのめり込んでしまうのは、
面白いですけど危ない面もありますね(笑)


聞き耳立てるのは気を付けて。

1月末から始まった大石眞行先生の

第四期九星術講座に参加しています。

私はわけあって長年九星術を

敬遠していたのですが、
明師、大石先生の織り成すめくるめく
「玄流九星術」講座を浴し、
目が開かれる思いで

毎回楽しみにしております。

さて、その講座の中で

「江戸時代には九星は一般的ではなく、
暦にも載っておらず、例えば
相性は九星の五行ではない「納音五行」で
看る方が一般的でした」

というくだりがありました。


ふと思い出したのは

「簠簋(ホキ)内伝金烏玉兎集」
における、家相や風水を記してある
第四巻「地判の形の事」ならびに
「五性人の家造りの吉凶の事」の部分。

生まれ年から割り出す、納音五行をそれぞれ
「木性人」

「火性人」

「土性人」

「金性人」

「水性人」

とし、
土地の形や十二支の年ごとに家を建てる吉凶が
述べられています。

「安倍晴明「簠簋内伝」現代語訳総解説」
(藤巻一保著 戎光祥出版刊)には

「江戸時代までその看方は踏襲され、
暦本にも掲載されていた」

とあります。

安倍晴明に仮託されたものの、
実際、成立したのは

鎌倉時代と言われる「簠簋内伝」。
この第四巻も後から加えられたとされていますが、
まず納音五行に変換してから占う方法は
江戸時代まで良く使われていたのだと思われます。


また更に「五行大義」(抄本)

(中村璋八著 明徳出版刊)
の最初の解説で知ったのですが、
国家機関であった陰陽寮や、足利学校で
教科書的に使われていたと言われる「五行大義」、
その編纂者である「蕭吉(しょうきつ)」が
著した他の本の中に「宅経」というものがある、と。

この「宅経」、別名を「五姓宅経」と言い、
中村氏の同書には、
「五姓の音を五行に配当して
家宅条築の時日の吉凶を判断する事」
と書かれています。

恐らくこれは「簠簋内伝」第四巻にある方法と
同一か似ているものなのでは、と推察しています。

また同書に「隋志」五行の部、「葬経」の中に
「五姓墓図一巻」という名が見える、

とも書かれていて、蕭吉が編纂した

500年の末期~600年頭には
納音五行を用いる方法が良く知られていたようです。


先の「「簠簋内伝」現代語訳総解説」では
「中国算命術」(洪不謨、姜玉珍 著)の

一説を引いています。
(ここで言う「算命術」は恐らく

「命術」全般を指している)

「正五行と納音に関しては、

徐子平(四柱推命の大家)は
もっぱら正五行を用いたが、

人の運命を推算すると、

いつも実際と相違する所があった為、
後に納音五行を用いて補充をした。

そこで両者の間は五行を経(たて糸)とし、
納音を緯(よこ糸)とする、と見なす事ができる」


納音五行は重要な位置を占めていた、と思えます。


日本では、明治以降、
気学が急速に広まって流行った為なのか、
この納音五行を使う事は

減って行ってしまったようですね。
今では四柱推命の補足として

使われるくらいでしょうか。

占いの長い歴史、
予想以上に大きな変遷が人知れず
繰り返されているのかも知れませんね。

 

 

 

去年に引き続き、周易の略筮にて

冬至の年筮を行ってみました。

 

去年は「水雷屯」の四爻変「沢雷随」。

屯、元亨。利貞。勿用有攸往利建侯。

六四、乘馬班如。求婚媾往、吉无不利。

 

手元にある易の本では以下のキーワードがありました。

・「草創期の苦しみ。産みの苦しみ」

・「頼み所が二つあって迷う時」

・「自分より目下の力ある者に協力を頼むと良い時」

・「自分から進んでするのは上手く行かないが、

 相手からくるものは上手く行く」

・「自分の力量に応じた目標を決定する事」

・「始めは困難が伴うが、努力すれば必ずかなう」

 

ざっとこんな所ですが、特に

・「草創期の苦しみ。産みの苦しみ」

・「自分より目下の力ある者に協力を頼むと良い時」

 

この二つが見事仕事方面に出ていまして、

大変驚きました。

協力者がなければ成し遂げられない仕事で、

かなり大変でしたが、

・「始めは困難が伴うが、努力すれば必ずかなう」

の通り、完遂する事ができました。

関係者各位には多大な感謝です。

 

さて、では来年の卦は

「山風蠱」五爻変「巽為風」。

蠱元亨利渉大川。先甲三日後甲三日。

六五幹父之蠱。用譽。

 

これは字の感じから、昔からあまり良くない卦のイメージですが、

卦辞自体は「大いにとおる、大川を渡るによろし」とあって

そんな凶意が渦巻いている感じではないんですよね。

まぁ、でも、内部にある問題に自ら手をつけないといけない、

といった事が大意ではあると思います。

しかし、そんな中の五爻変は特に悪くはなさそう。

 

キーワードとしては

・「強力な後ろ盾が現れて大事を成し遂げ、かつ名声を得る」

・「長い間の問題が片付くとき」

・「部下に力強い者がいる」

・「病難、盗難に注意」

 

最後は気を付けるべきだと思いますが、

一番目が良いので嬉しいですね(笑)

 

心当たりもあって、今年の大変だった仕事が

来年春頃に正式発表になり、その辺が絡むのでは、と

考えています。

 

略筮とは言え、去年の年筮はズバリ出ていた感があるので

来年も最後の「病難、盗難に注意」を

特に心に留めて行きたいと思います。

 

 

 

 

久し振りに「玄空飛星法」について思いを馳せると、

およそ15年ほど前に通ったセミナーの事を思い出した。

 

数日間ほどの集中セミナーで総勢で20人は超えていただろうか。

私にとっても、その規模の占術のセミナーに

参加するのは初めてだった。

 

その時、たまたま席で隣り合った男性と言葉を交わした事を、

今でもかすかに覚えている。

 

私 「いろいろと実践し甲斐がありますよね」

 

男性 「いやぁ、実践なんてしないですよ」

 

私 「え?せっかく習ったんだから自分で実践しないんですか?」

 

男性 「だってそんなの面倒じゃないですか。」

 

私は少々面食らった。

決して安い受講料ではない。なんの為に勉強しに来ているのか、

ちょっと理解ができなかった。

それ以上の追及はしなかったが、

奇特な人もいるものだな、と思ったものだった。

 

 

そんな中、ひと際にぎやかな三人組の女性も目立つ存在で、

セミナーの中では華、といった感じではあったが、

中には女優がかけていそうな大きめのサングラスをしたり、

なんとなく東洋占術に興味がありそうな雰囲気ではなかった。

 

 

その時の玄空飛星法セミナーはひと通り終了したが、

その後も、今現在から一世代前の

「風水グランドマスター」のひとりが

来日し、特別にセミナーする、という事もあった。

にぎやか三人組も参加していたように思う。

 

 

それからどのくらい経過しただろうか。

記憶は曖昧だが、半年後くらい、としよう。

 

そのにぎやか三人組が、

なんと風水コンサルティングの合資会社を

作ってしまったのだった。

勉強した玄空飛星法だけでコンサルティングをする会社を

作ってしまったのである。

 

これは最初に記した隣の男性以上に面食らった。

 

わずか半年である。

実践による実証などほとんどしていない事は

火を見るよりも明らかだ。

 

 

・・・案の定、と言うべきか、あっという間に

その風水コンサルティング会社のホームページは

消え去ってしまった。

にぎやか三人組とは接点はなかったが、

風のウワサでは、やはりクライアントと揉め、その三人たち自身も

揉めたのだと言う。

 

 

 

それから15年経った今でも、玄空飛星法の正確な運用を

掴めない自分がいる。

おいそれとそんな曖昧な状態で他人を風水鑑定する事は

とてもできない、と思う。

 

誤った鑑定を受けてしまい、

人生が崩壊した事例も聞き及んでいる。

 

数回のセミナーを受けただけや、一般市販の本を読んだだけで

風水師を気取る事の恐ろしさ。

 

そういえば、ここ最近はなんでもかんでも風水にしてしまう

妙なブームは以前より収まりつつあるような気もする。

 

 

あの時の、狂騒詩を奏でていた

にぎやか三人組はその後何をしているだろうか。

 

なんとなく、また何か占いでもスピリチュアルでも

しぶとく、たくましく、ビジネスをやっている気がしないでもない。

 

 

 

 

前回の呉範に引き続き、孫呉の占術の達人、

趙達について。

 

若い頃から学問を志したが、世の中が戦乱によって

荒れてくると、それを避けるように、また、東南の地に

王者の気がある事を感じ、身一つで長江を渡ったと言う。

 

大きな特徴として、趙達伝にこうある。

「趙達は、九宮一算の術をマスターして

その奥深い意味を極め、それゆえに臨機応変に

対策を立てる事ができ、人々の疑問に神のような判断を下した。」

 

「九宮一算の術」

 

一体どんな占術だったのだろうか。

 

ある時、趙達は仲間数人で知人の家に訪ねた。

知人は彼らに食事を用意してもてなした。

その食事がひととおり終わると、知人はこう言った。

 

「急な事で酒を切らし、また良い肴もなくて申し訳ない」

 

それを聞いた趙達、その場にあった一本の箸を取って

何度か縦にしたり横にしたりしていたが、

やがてこう言い出した。

 

「おかしいな。お宅の東の壁の向こうに美酒がたくさんあり、

また鹿の肉もけっこうあるのに、何故そんな事を言うのです?」

 

知人はバレてしまった事を恥じ入り、

 

「趙達どのは良く当てモノをされるので、試してみたまでです」

 

結局、酒や肴を持ってきて、趙達たちは

おおいに飲んで食べたと言う。

 

他にも

・イナゴの多い少ないを当てた。

 「飛んでるものは詳しくわからないから適当言ったのだ」

 という怪しむ声に対し、

 その者に小豆を持ってこさせ、机の上の任意の数の小豆を

 ばらけさせた。

 趙達はすぐさま占って結果を告げると、

 果たして彼の言う通りの数と一致した。

 

・ある者が札に数字を書き、それを他に何も入れていない

 空っぽの倉庫の中に納め、

 趙達を呼んで、倉庫の中身を占わせた。

 趙達は札に書かれた数字を言い当てると、

 「しかし、これは名ばかりで実際の中身はありませんね」

 と、見事に看破した。

 

・また、孫権が帝位に就いた時、

 自分が何年在位できるかを占わせた所、

 趙達は占断結果を進言した。

 「漢の高祖は十二年間在位されました。

 孫権さまはこれの倍は在位できましょう」

 孫権は大いに喜び、側近の者たちも万歳をした。

 実際、孫権は二十四年在位したのであった。

 

 

このような趙達も、前回の呉範同様に、自分の術を大切にし、

容易に他人に教えなかった。

呉の名だたる学者や著名人が彼の元を訪れて礼を尽くしても

秘め隠してしまった、という。

 

 

そして趙達伝にはその人間性を垣間見るエピソードがある。

 

実は彼のもとには、長年彼に師事する弟子がいた。

他の人物とは違い、その弟子には自分の術を授ける、

と約束しながらも、そのまま何年経っても最後まで教えずにいた。

 

ある時、そんな趙達の機嫌が良い時を見計らい、

弟子は酒を用意して趙達に術の伝授を懇願する。

 

すると趙達は言った。

 

「この術を極めて王者の師となろうと思ったが、

期待していた程にはワシは出世しなかった。

だからもう人に伝授するのはよそうと思っている。

それにこの術は極めて微妙なものであって、

最初の掛け算から終わりの引き算まで、

その「一算」の方法は父子の間でも言葉で伝える事ができない。

しかし、弟子よ、お前は良く仕えてくれたので

今度こそ本当に伝授しよう。」

 

酒も入って上機嫌な趙達は立ち上がって、

白い絹でできた巻物を二巻持って来た。

 

「これを筆写して読めば自分で理解できるようになるだろう。

しかし、久しくワシはこれを読んでいない。

今一度読んで検討してみたいから、

数日したらいよいよお前に授けよう。」

 

そして期日が来て、弟子が再び訪ねると、

趙達は家の中をひっくり返して、何かを探している。

弟子が来たの見やるとこう言った。

 

「すまん、巻物が見当たらないのだよ。

昨日、娘の婿がやって来たのだ。きっと奴が盗んだに違いない」

 

その後、術の伝授はうやむやになり、

話は立ち消えになった、という・・・。

 

さらにこういうのもある。

 

孫権のもとには、星を観察したり、風を読んだりして、

そこから占う役目の人間が他にも何人かいた。

前回の呉範も風を読む術の達人であった事は述べた。

 

趙達はそうした者たちに向かって笑いながら言ったという。

 

「たれこめた帷幄の中にあって、算木をめぐらせ、

戸外に出ずしても天道を知るのが占術の極意であるのに、

わざわざ日中、あるいは夜中に身を戸外にさらして

気の兆しを読み取ろうとしておられる。

まことにご苦労な事です」

 

・・・うーん(笑)

まず、彼の術をもってすれば、巻物が盗まれる事くらい

たやすく察知できたはずで、

盗まれたというのは真っ赤なウソとしか考えられない。

盗まれたとしても、その巻物に頼らずとも

伝授はできたはずである。

 

また、他の術者、とりわけ星や風を読む者たちを

小馬鹿にするような態度。

 

 

そして、国主孫権は趙達の「九宮一算の術」を知りたがったが、

趙達は一切教えようとはしなかった。

そのため、呉範同様にまたしても孫権の不興を買い、

あまり身分や俸禄をもらう事は出来なかった、という。

 

弟子に語ったように、「王者の師」になりたかったのに

たいして重用されなかったのは、

孫権の性格気質もあったのだろうけれども、

最終的には趙達のトホホな性格が災いしたとも思える。

 

「王者の師」を目指すなら、孫権に九宮一算の術を

伝授しても良かったのではないか、とも思うが、

呉範の言葉、

「これが秘術でなくなったら私の身分は保証されない」

というのも思い起こされる。

呉範の風を読む術とは違い、趙達本人も言うように

戸外に出ずに算木をめぐらせる術であるから、

全伝伝授でなくとも、

もっとやりようはあったのではないか、

とも思われるのだが・・・。

 

 

権力者と占い師の微妙な関係がそこにはあった事が伺える。

 

趙達の死後、孫権は九宮一算の術をなんとか知りたい、と考え、

趙達の娘を監禁してまで聞き出そうとした。

その婿も同然の仕打ちがあったのではないかと思う。

 

そして最後には趙達の棺の中も暴かれて

くまなく捜索を受けてしまったのだと言う。

結局、趙達の持っていた白絹の巻物なども見つからず、

九宮一算の術は途絶えてしまったのだった。

 

・・・孫権の執念もすごい物がある・・・。

実は趙達の妹は孫権の側室で、絵画の達人であったという。

中華の歴史の記録の中で、初めての女性画家との事。

言ってみれば義理の兄であるのに、なかなかすごい仕打ちである。

(もっとも占術を教えてくれない恨みから

官位俸禄も小さいものしか与えなかったが)

 

王者の師になるどころか、棺までも暴かれる、といった

不名誉極まりない目に遭ってしまった趙達。

自分の死後の事は占わなかったのだろうか。

 

そして、ほとんどの伝にはそれぞれの人物の

名前のひとつである字(あざな)も最初に併記される事が多いが、

そのややトホホな性格が災いしたせいで

あまり語り継がれる人物ではなかったのだろうか。

 

趙達の字は伝わっていない。

 

 

少し前にツイッターでもつぶやいたけれども、
ちくま学芸文庫刊行「正史三国志8呉書Ⅲ」を購入した。

何かの拍子で三国志の三国の一角、
「孫呉」の国に関する事を調べていた時、
孫呉の時代、最もすぐれた技術を有した人物が八人おり、
その八人を「八絶」と称した、という事であった。

そして、その八人のうち実に五人が
「オカルティック」な人物。

特に「呉範」(ごはん)「趙達」(ちょうたつ)。
この二人は占術に長けていたという。

調べると正史三国志の「呉書」第十八に
「呉範伝」「趙達伝」として残されている。

早速、AMAZONにて買い求めた次第。


ちなみに私は三国志にあっては「孫呉」のファンである。

中学生時代、友人宅のパソコンで遊んだ
シミュレーションゲームの
三国志で初めて選んだのが「呉」で、
それ以来、なんとなく愛着が湧いてしまったのだ。

「三国志演義」で主人公「蜀」の
劉備と五虎将や諸葛亮なんてのは王道すぎて面白くない。
また「魏」の曹操軍団はこれはこれで
全般的に優秀すぎて鼻につく。
よって荒くれ者の集団、「呉」がなんとなく好みであった(笑)



話しを戻してまず「呉範」

会稽の人で、暦数、風気の術(風占い)に長け、
孫権の下で災害などの現象を具体的な予言を上奏し、
たびたび効験があったので、
広く人々の知られる所になった、という。


ざっとした占術に関するエピソード

・呉の国主、孫権が怨敵である劉表配下の黄祖を攻める際、
呉範は「今年は駄目です。来年が良いでしょう」
孫権はその言葉を聞かずに攻め込んで失敗。
翌年改めて攻め込んで勝利を得る。


・「二年後に劉備が蜀を手に入れるでしょう」と占断。
別な配下が劉備を調べた所、部下がまとまってないので危い、と
孫権に報告。孫権が呉範に詰め寄ると、
「私が申したのは「天道」の事であり、
彼が調べてきたのは「人事」だけにすぎません」
果たして劉備が呉範の言う年に蜀に入る。


・蜀の関羽からの偽りの降伏を看破。
関羽が降伏の申し出をして来たが、それはウソであり、
彼は必ず逃げる、と進言。
逃亡しそうなルートにあらかじめ兵を備えておくと、
果たしてその通りになって無事に関羽を捕まえる。


こうして見ると、

呉範の占術はかなり孫権に貢献したと言える。
しかも重要な局面で孫権から占断を
求められていたというのは非常に興味深い。

しかしこの呉範は、
かなり一本気で誇り高い人物であったらしい。

この呉範の占術に興味を持った孫権は、

たびたび彼の元を訪れ、
その秘訣を授かろうとするが、
呉範はその肝要な部分を惜しみ隠し、
国主である孫権にすら教えなかった、とある。

そして孫権はその事でひそかに彼を恨んだらしい。


のちにいろんな配下の論功行賞を行う際、
呉範を高い身分にしよう、
という機運が高まり、孫権もそのつもりだった。

しかし、いざ公式の発表を行おうという直前、、
呉範が自分に占術の全てを明かさなかった事を
思い出して腹を立て、その公式のリストから
呉範の名前を消してしまった、という。


呉範も呉範で、

「今の身分があるのはこの占術のおかげである。
これが秘術でなくなれば(孫権に明かしてしまえば)
私は捨てられる事であろう」

と、このように考えて肝要な部分は話さなかったらしい。


やがて呉範は病を得て亡くなったが、
彼の長男は早世してしまっており、
その次の子はまだ幼く、その術は途絶えてしまった。


その術を受け継ぐ者がいなかったので、
孫権は非常に残念がったと言う。


呉範が「秘術でなくなれば、私は捨てられる」
と言ったのは占断による判断なのかはわからない。

自分の性格、また、国主孫権の性格を見抜いたうえでの
考えだったのかも知れない。

このように、重要な局面で占術が役に立った事が
およそ1700前もの昔に記録されていた事はとても興味深い。
「正史」とはいえ、鵜呑みにするのも危険だけども、
そういった達人がいた、という話は
群像が好きな私はウソでもわくわくしてくる。


「風気の術」というくらいなので、おそらく
吹く風を観察して占断を立てるのだろうと推察できる。
もしかしたら、そこには個人的な資質、才能が多分に含まれ、
誰でも簡単に修得できる術ではなかったのかも知れない。


呉範はその優れた占断で自分の寿命を知り、
亡くなる日も知ると、 孫権にこう言った。

呉範「孫権さまはこれこれの日に軍師を失いましょう」

孫権「私は軍師など置いていない。失う道理は無いが」

呉範「孫権さまは軍を動かす時、
私の言葉に従う事がたくさん御座いました。
とりもなおさず私は孫権さまの軍師なので御座います」


みごとな占断を披露した呉範の
一本気で誇り高き自負であった。



 

3月25日夜。

 

小池東京都知事の会見が行われ、

東京都内の感染者急増にともなう警告が

アナウンスされる。

特に土日の不要不急の外出は避けるように、と。

 

翌26日は都内で仕事の打ち合わせが入っていた。

 

当日朝、気になって占断してみる。

 

「打ち合わせに出かけて病気に罹るかどうか」

 

得たのは風地観の不変。

 

 

 

いくつかある、上下同じ納支の卦。

 

「病気」を意味する「官鬼」の状態は

月建に生じられている。

また、その官鬼を助ける原神妻財も

月建と同じく卯木で強い。

 

官鬼を押さえる役目の忌神子孫は伏神となって

日辰から剋を受けてかなり弱い・・・。

 

基本的要素としては官鬼が優勢。

ほぼ月建からの影響ばかりで、まさに今月の病気の

猛威を示しているかのようだ。

 

ちょっと、おや?と思ったのは

空亡も無く、月建や日辰からの合や冲が

出ていない事。

 

(割と珍しいな・・・)

 

そして不変卦である、という事。

 

ふと思い出したのは、チャット占いや

ココナラでメール占いをやっていて、

「不倫」の相談でコインを振ってもらうと

なぜかこの上下同じ納支の卦が良く出るというイメージ。

 

そして、共通していたのは、

 

「おそらく、この相談者は現状維持で何もアクションしない」

 

であろう、という事。

 

つまり、進展を見せない時にこういう卦が出るイメージだ。

しかもどの爻も動かずに不変。変化しない。

 

(うーん・・・)

 

打ち合わせは16時からの予定。

 

しかし昼頃に先方から連絡が入った。

 

先方 「この状況なので、電話で打ち合わせしましょうか?

もちろん、来ていただいてもかまいません」

 

私 「予定通り行きますよ」

 

先方 「まぁ電話で済みそうですけどね。どちらでも」

 

ここでちょっと考えた。

卦の事もあるし、万が一という事も可能性はある。

なによりも都内で急に感染者が増えているし、

昨晩の都知事会見の事も気になっていた。

 

私 「やっぱり万が一の事もあるので電話にしましょう」

 

 

自分を示す世爻、相手を示す応爻、

上下同じ納支なので、同じ未土。

 

お互いに「動かない」

 

(ふーむ・・・)

 

妙に納得してしまったが、あのまま出掛けていたら

病気になっていただろうか?

 

そうだとしたら、凶を避けられた可能性として、

出た卦を上手く活用できたと言えるかも知れない。

 

ヘボ探偵、危険を回避?

 

 

電話で済ませられる打ち合わせなので、

なにも顔を付き合わせる事もなかったのだけど、

予定は16時。

 

1時間もあれば余裕で打ち合わせは終了した事だろう。

 

そして、「打ち合わせの延長」と称して

先方と飲みに出掛けた事であろう(笑)

 

その先方の私の担当者とはウマが合い、

お互いに良く飲むので

杯に杯を重ねる事間違いなし。

 

あの官鬼の強さは、実はお酒による

二日酔いの警告だったのかどうか(笑)

 

 

 

ヘボ探偵とは誰あろう、私の事(笑)

実際問題、

断易もソラで納甲できないくらいにはヘボです(笑)

 

さて前回、私が勉強している「五行易師弟問答」より

「金を貸す吉凶」の占例について書き記しました。

 

 

 

 

用神妻財が弱く、忌神兄弟が強い。

これは凶と判断した所、

世爻が動いて妻財爻の「墓庫」に変化し、

無事お金は戻ってきた。

しかし、貸した人とは不仲になってしまった、という実例。

 

(・・・う~ん・・・)

 

あまり納得の行かないまま、

本文やノートを見返していた所・・・。

 

「あっ!」

 

(も、もしかして・・・!)

 

この占例は「金を貸す吉凶」、だった。

 

私は

「金を貸す吉凶」=「お金は戻って来るのか?」

という視点から推理を進めていました。

 

もしかしたら、それが単なる思い込みだったのでは、と・・・。

 

確かに本文には「お金が戻って来るかを占った」

といった事は書かれていません・・・。

 

いやいやいや、普通に考えて「お金を貸す」事を

占ったのなら、「無事に返って来るかどうか」

最大の関心事になるであろう事は

火を見るより明らか。

万人の人がそう考えるのではないか、と・・・。

 

恐らくは、この質問者も、そういう事を知りたくて

占ってもらったのに違いない。

 

しかし、実際はお金が返って来た、という。

 

めでたしめでたし、なハズが・・・。

 

いや違う。

 

最終的にはこの質問者が口汚い人物で、

返してくれた人を怒らせて不仲になってしまった・・・。

 

短くまとめると、この占断の顛末は

 

「金を貸したら人脈からひとり減ってしまった」

 

という結果に終わった事になり、

「吉」か「凶」か、で言ったら

「凶」だったのではないか?と考えられないか・・・?

 

もちろん、この質問者にとって、貸した人が

どれほど大切な人物だったのか、は

計りかねる部分ではあるのだが・・・。

 

ひょっとしたら、この質問者は

 

「お金が返ってくるかどうか」

 

で占ったものの、

易神はお金が返ってくる事も、その後に

相手と不仲になる事も、見事にその状況まで伝えて来た、

という事だったのだろうか?

 

 

(・・・まるっとお見通しだった、ってわけか・・・)

 

 

ため息をつきながら、再びノートに目を落とす。

 

「あっ!!!」 (二回目)

 

これ、「乾為天」の八純卦じゃないか!

つまり六冲卦!

 

質問者を示す世爻の「戌」

相手を示す応爻の「辰」

 

この二人はすなわちの関係。

ぶつかる、あるいは離れる。

 

手元の資料では土の冲は「四庫の冲」

物事がまとまる時に起こる問題

辰戌の冲は金銭問題

 

 

推理小説ならば、冒頭にしてすでに

事件の真実のヒントがちりばめられていたわけである。

 

(・・・易神さん、魅せてくれるねぇ・・・)

 

 

ヘボ探偵、天を仰ぐ・・・。

 

 

 

ブログ、大変ご無沙汰しておりました。

 

ほぼツイッターの方でいろいろとつぶやいていたのですが、

ブログも更新しないとな、と思いました。

 

久し振りに「五行易師弟問答」についてです。

もっと他にも記すべきトピックスはたくさんあるのですが、

リハビリ的に断易の事を書いてみます。

 

もっとも、断易の自主勉強も滞っていたのですけども・・・。

 

さて、「五行易師弟問答」第287

「金を貸す吉凶」

 

 

 

 

早速推理開始。

 

お金の事なので、用神は「妻財」と見ました。

二爻に寅木で財は出ています。

・・・この財爻は月の酉金から剋されており、かつ、

日からは影響ありません。

 

(うーん、弱いなこれは)

 

その用神の敵である、忌神は五爻にいる兄弟申金です。

 

月の酉金と同じ五行。そして日の丑土から生じられる。

先程の用神に比べるとかなり強いです。

 

(これはもう決まったようなもんだな・・・)

 

用神を助ける原神は、初爻の子孫子水。

これは月の酉金に生じられますが、日の丑土からは

剋を受ける。

しかし、剋されながらも、その丑土とは「合」の関係で、

日からの合なのでここは活性化されます。

 

しかし、このお金を貸す事を相談に来た相談者自身を

あらわす「世爻」そのものも動き、戌土であるので

忌神である申金を生じる事になります。

 

ちょっとこの状態から考えて、お金を貸すのは凶だな、と。

忌神の兄弟は「損失」を意味しますから、

 

「貸したお金は返って来ない」

 

という判断が出来るかな、と思いました。

 

「ようしっ!わかったっ!」

 

金田一耕助シリーズの等々力(立花)警部ばりに

手を打ちながら、正解へ進みます。

 

 

・世爻にも付く父母が応爻にも出て多現。

 応爻の辰土の父母は、世爻戌土の「墓」にあたり、

 この相談者が何らかの理由があって、

 お金を貸さなければならない状態。

 

・世爻が動き、空亡ではあるが、財爻寅木の「墓」にあたる

 未土に変化する。

 また、原神の子水が日に合起される。以上から、

 貸した相手は無理してでも返してくる。

 

(え・・・お金返ってくるのか・・・)

 

またしても断易の判断の難しい所にぶち当たりましたね。

 

私は用神、忌神の要素だけを考えていましたが、

最大のポイントは、

相談者の世爻が自ら動いて、用神財爻である

寅木の「墓庫」に変化する、という事だったようです。

 

いやぁ、これはちょっと基本的な判断ではなく、

上級といいますか、紙一重の判断の妙なのではないか、

と思いました。

 

本文はさらに続きます。

 

・世爻の戌土、動いて未土に変化。

 そして日の丑土。

 この丑土、未土、戌土の三つで「三刑」を成す。

 世爻が含まれているから、このお金を貸す人は

 人間的にちょっとキツい部分があり、

 お金を貸した人とトラブルになるだろう。

 

 果たして、貸したお金は返って来たが、

 貸した人の口の悪さから喧嘩になり、その二人は

 不仲になってしまった、という。

 

・ちなみにお金が返って来たのは、世爻が動いて

 未土へ化した空亡の解けるその未土日であった。

 

 

結果にウソ偽りがなければ、この用神の弱さ、

忌神の強さでもお金は返ってきた事になります。

 

ポイントは世爻の変化。

何度か書いていますが、確かに「独発は神機をあらわす」

(唯一動いている爻の重要性)

だったのですね。

恐らく世爻が動いてなければ、このような判断には

なっていないはず・・・。

 

特に諸口流では、ことお金の問題に関して、

この「墓庫」を良く使い、良く当てた、と言われます。

 

 

これが推理小説だったら、

また私は犯人を間違った事になります(笑)

だまされたというか、観察力、判断力の不足を

まざまざと自覚させられる次第。

 

 

私はやはり等々力警部レベルなのか・・・(笑)

 

「ようしっ!わかったっ!」 (わかってない(笑))