Berunです。
久しぶりの更新です。
スマートフォンを購入したので、これから定期的に更新していきたいと思っています。


さて、今日は久しぶりに私と同い年で同じくアツく不器用で大好きな仲間と食事をしていました。
私は洋装のプロとして、
彼は営業のプロとして、
畑は違えど、いつも2人でお互い見えないところで切磋琢磨していました。


今日約半年ぶりに会い、影のライバルは牙を剥きながら、そっと優しく暖かい毛布をかけてくれました。

そして彼との会話で、気が付いた事があります。


それは、

『世の中に根拠のある自信は存在しない』と。


そもそも人は未来を見る機能は兼ね備えていない。

そんな中、
目を凝らしてみると世の中は虚像だらけなのだ。

「この薬を飲めば治りますよ」

「君の脳なら○○大学は確実だ!」

一体その人はどんな責任感を持ってそんな発言をしているのだろう。

いや、発言者に責任感などない。
あるのは根拠の無い自信だけ。

では根拠の無い自信がいけないかと言うとそうではない。

むしろその発言によって救われる人の方が多いのではなかろうか。

人間皆誰もが孤独に恐怖を抱き、不安に駆られて生きている。

そんなときに根拠の無い自信は、とてつもない強く明るい光を出してやってくる。

発言者はそれを発し、聞き手を促す事で、初めて発言者の仕事が後にやってくる。

発言者の仕事は発言をする事ではなく、聞き手をどうにかして幸せにすることだからだ。

最後の結果はどうあれ、未来はどうなるかは分からないが、プラスになるという事を伝える事が第一の仕事。

神様でもないのだから、結果はどうなるかなんて分からない。

いわゆる『虚像』を売るわけだ。

その虚像を虚像で終わらせるのか、実像にするのかが提案者の仕事。

私がイギリスに半年間留学していたときに気付いたことが、
海外の人達は等身大で生きている人が多いが、
日本人が虚像を作りたがる。

どちらが正しく、どちらが悪いわけではない。

が、この国の美容室とショップの多さを見てもらうと分かると思う。

日本人は心配性で怖がりだ。

他国のように、民族間の戦争などあまり行われて来なかったように。

他人を尊敬し、自己を謙譲する。

だからこそこんな時代にも、根拠なく力強い発言を出来る人が求められているのではないだろうか。

大好きでどうしようもない国なんです。

そして私はまだ小人なのに、等身大で生きようと頑張りすぎていたようです。
小人が背伸びをしたって小人は小人。

170cmの人が背伸びをしたってせいぜい175cmだろう。

同じ背なのに大きさが違って見える。

それは自信の違いでしょう。


根拠なき自信。

素晴らしい事だと思います。


ベルンでした。





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