またまた2ヶ月ぶりの更新になってしまいました。今年からは内容やスタイルも変えて、更新頻度ももう少し定期的なものにしたいと思っています。
ところで昨年12月25日発売号で関西の老舗情報誌「Lマガジン」(「エルマガ」)が休刊となった。
映画館の上映予定も観客数に応じて随時変更されるなど、月刊の情報誌では機能しなくなっていたこともあったのだろう。
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その昔々、関西には「プレイガイドジャーナル」、通称「ぷがじゃ」と言う情報誌があった。ウィキペディアによると、「ぷがじゃ」の創刊が71年7月であるのに対して、東京の「ぴあ」が72年7月なので、1年早く日本で最初の「情報誌」だったかも知れない。上の写真ではB5サイズの「エルマガ」より大きく見えるけど、B6サイズと小さく100円だった。若者が100円で買って、ジーパンのお尻のポケットに入れて、情報を持ち歩く新しい時代と評されたりもした。「ぴあ」がコマーシャルになって大企業へと変身していったのに対して、「ぷがじゃ」はサブカルチャー誌であり続けたけど、未だ無名だったいしいひさいちの漫画や、中島らもによるかねてつ蒲鉾の広告が載っていたり、後期には村上春樹のエッセイが連載されたり、南伸坊のイラストが使われたり、結構とんがり続けていた。77年に神戸新聞が「エルマガ」が創刊された時も、軟弱な雑誌が出てきたな、と思っても見向きもしなかったけれど、その後「ぴあ関西版」も創刊され、競争が激しくなり、87年に「ぷがじゃ」は休刊となった。
「関西walker」や「関西1週間」が出てくるに至って、もうかっての「情報誌」とは言えない凡庸なものに取って代わられていき、相対的に「ぴあ」「エルマガ」が質を保ちつつも、侵食されていったことに、時代の変化を感じてしまう。
もっとも「ぷがじゃ」は最近、「プジャガ京阪神・風噂聞書」としてネット版で復活しているのも嬉しいことだったりする。
そんな「ぷがじゃ」が1974年に出版したのが、「大阪青春街図」というガイドブックだった。
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その後「神戸青春街図」「京都—」「名古屋—」「東京—」も出版された。
これらの本の中身をみて、語る「70年代青春街図」シリーズを、これから不定期ですが続けていこうと思っています。