こないだ、唐招提寺に行ったとき、

境内をずっと和尚さんが説明しながら案内してくださいました。

そのお話はとてもわかりやすくて

心地よいお声で…

聞いてるそばから心が洗われていくような、

そんな感じすらしました。




中でも、

鑑真和上についてのお話の中で、

鑑真和上は「中庸」が大事であると

説いておられるということを伺いました。


中庸とは、儒教における概念の一つで、

簡単に言うと、

対立する2つの意見があるとき、

偏りがなく、バランスよく両方の良いところを取り入れるといった意味合いの言葉のようです。

(もちろんもっと深い意味もあると思います)


鑑真和上はいかなるときも中庸を心がけること。

戦わないこと、武器を持たないことを伝えておられます。


ちょうど同じ日、

さやか先生のリトリートに参加した人が小冊子(これがまた素敵なの💓)をいただけるのですが、

そこにも

ヒルデガルドの残した言葉で「中庸」が綴られていました。

これには驚きで…

改めて鑑真和上とヒルデガルドの想いの共通点を通して

後世の私たちに伝えたいメッセージを受け取らせていただいたのでした。




そこにはこうあります。

「中庸であること、というのは思考だけでなく、

生き方にも反映されます。」


なんでも鵜呑みにしないこと。

本当かな?

なんでかな?

疑問を持って自分で考えることはとても大切です。


私自身も「違和感」をとても大切にしています。

どんなに良いといわれるお話を聞いても…

どんなに(肩書きが)すごいと言われる人に会ったとしても…

自分の心がモヤっとしたり

自分の心がNoといっていたら

それは正しいとか正しくないとか関係なく

「自分にとっては」

Noです。


自分自身で感じる力、

考える力、その選択を大切にした上で

他者の感覚、考えや選択を尊重しながら

ともに生きていくことを

とても大切にしていきたいです。


先日のSAWAさんのお話会でも

(両極の事柄で)レベルが1〜5まであったとしたら

2〜4ぐらいの間でちょうど良い感じのところにいるのがいいみたい。って、お話ししておられました。


ほどほどに…やね。


こうでなければならないと「決めて」しまうと

その反対が生まれます。

自分が正しいと主張すればするほどアンチが生まれます。


波が漂うように…

ゆらゆらと真ん中あたりを漂っているのが

ちょうど良いのかもしれませんね。


今日もいい日に。