いろんな意味において…
4年前に書いたこの記事は
私の中の突破口だったなぁと。
今改めてそう思う。


昨日、ボヘミアンラプソディーを観てきた。
そこで気になったセリフがあって
「善きこと、善き行い、善き言葉」だったか…
それをフレディのお父さんが語るシーン。

結局その時の彼は善き行いなど全くしていなくて…
でも、最後には
父親の全く予期せぬ形で
それをやり遂げることになる。

フレディのやり方は
こうだったんだな。
よかったな。そう思った。

愛だの光だの
綺麗なことを並べることは
嫌いじゃないけど
それが
自分に合っているのなら不自然な感じはしない。

私はどちらかというと
光でも闇でもない「私」にいたい。

私は人間で
人間が大好きで
犬に頼りっぱなしで
植物に頼りっぱなしで(笑)
この地球が大好きで
命が大好きで…

そう思った時
つくづく自分が好きなんだなぁと思う。

けど、最初から自分のことが好きだったわけではない。

今でも
自信がなくて
嫉妬深くて
怖くて
人の目をとても気にする私も存在しているのは確かで…

この記事を書いた時
はっきりと実感としてわかったのは
だんだんと
自分の思っていることと
自分のやっていることが
一致してきてるんだなーってこと。

それが
「等身大」なんだな。って。

それってとても
ニュートラルで自然なことのような気がする。

そして何より
自分に合ってる。(笑)

怖がりの人は
傷つかないように何かで防御しようとする。
自信のない人は
自分の過去のお手柄にしがみついて自己評価を上げようとする。
嫉妬深い人は
それが欲しくて欲しくて仕方がないから
自分は持っていないという現実を作り出す。

等身大でいる人は
持っているといえば持っているし
ないといえばない。
そんなことはどうでもよくて…

ただ楽でいることを楽しむ。

そこに気づいた時
私が自分自身で縛っていたもの。
フィルターを通してしか見られなかったもの。
そういうものを全部取っ払って
もうそういうことが自分には必要がないと思えた。

そこで得られたものが自由なんだと思う。

自分勝手に表現したり行動したりすることだけが自由なのではなく(外に向かう自由)
自分を信じて等身大でいられることが(内に向かう自由)
今必要とされてる自由なんじゃないかな。

今年も等身大で
セッションさせていただきます。

その時私は私を自由にします。(*´艸`*)

ムリはしません。
嫉妬もします。
いつも光ばかりみているわけではありません。(笑)

こんな私ですが
今年もよろしくお願いします。(笑)