つまらなくなるのは芸人ではなく、テレビのあり方 | 透明な濁り Transparent impurity

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昨日のドリームマッチは非常に面白かった。最初は、コンビがこれまでに比べて地味かしらと思っていたけれども、やはりサンドウィッチマンが絡んだ2組は面白かった。できれば、八木さんと伊達ちゃんのコンビは漫才が観たかったなと思うけれども、あの場所で漫才をやるのは、やはりプレッシャーが大きかったのだろうなと思う。


優勝したサンドの富沢さんとフットボールアワーの後藤さんのコンビは、これぞ漫才という感じで面白かった。婚とか漫才、どちらでもOKというのが逆にそれぞれの良さを引き出しているような気がする。もし、今後こういう相方を変えてコンビを組む番組ができるとしたら、ジャンルはフリーじゃなと駄目な気がする。



昔はお笑い番組が少なかったので、新春くらいしかお笑い芸人を大勢目にする機会は少なかったのだけれども、昨年はお笑い番組が次々と終わって行ったので、久しぶりにその感覚を思い出しました。まあ、お笑い番組が終わっても、ひな壇芸人の人たちは生き残っていくのだろうけれど、やっぱり自分としてはネタ番組が好きなので、一つくらいはネタ番組が新しく始まらないかなと思いました。


ただ、テレビは無駄な規制が多いから、きっと芸人さんたちにとっては厳しい時代が続くんだろうな。だからこそ、ネットでお笑い番組ができれば、もっとそれが広がっていけば面白い番組やら新人芸人も出てくると思うのだけれども、そこに至るまではまだまだ時間が掛るんだろうなと思ったり。


やはり自分が夢で逢えたらとか、ごっつうええ感じとか、ダウンタウンが大活躍していた時代のお笑い番組を見て育ったので、今のお笑い番組はぬるく感じてしまう。それは芸人さんたちは作家さんたちがぬるいってのも多少はあるんだろうけど、スポンサーの顔色を気にして、過激な事を表現できなくなっている時代の空気が原因なんだと思う。



漫画表現も会社に自己規制を迫るような空気が満ちてきている。ゾーニングの問題は必要かもしれないけれど、児童保護の名前を借りた表現規制ってのは本当にくだらないから。漫画とアニメに限定している時点で、ネットの中の有害な情報を規制することはできないから、叩きやすいアニメや漫画を標的にしたってのがばればれだからね。東京都から、今度は宮城県でも条例ができるらしいし、日本のあちこちに規制の波は広がっていくのだろう。


新年早々、あんまりネガティヴな事を書きたくないんだけど、そういう規制を国なり自治体が進めれば進めるほど、良い地域でなく、逆にギスギスした状況になっていくと思う。自分はアニメも、その手の漫画もほとんど読まないけれど、この流れは注視していきたいと思う。


政治は民主党大会が終わらないと動かないらしいから、そこまではマスコミが何を伝えて、何を伝えていないのかを見ていこうと思っています。