米国で摘発されたロシアのスパイグループが国外退去となった事件で、「美しすぎる女スパイ」として一躍、有名になったアンナ・チャップマン元被告(28) の人物像や経歴が徐々に明らかになってきた。英国で「一目惚れ」した男性と結婚したものの、結婚生活は約4年で破綻(はたん)。その間に「ロシアの友人た ち」との付き合いを深め、質素だった暮らしは華美なものへと一変していた。逮捕前には元夫へ、スパイ生活を悔いるかのようなメールを送っていたことも判 明。アンナ元被告がどのようにしてスパイの道を歩み始めたのか、欧米メディアの関心は高まる一方だ。(大内清)

■「一目惚れ」

2001年9月、ロンドン。テムズ川沿いのドックランズ地区の地下にあるディスコで、白いドレスを着た赤毛の女性が踊っていた。夏休みを利用して旅行に来ていた19歳の女子学生。名前をアンナ・クシュチェンコといった。

「こんな美人は見たことがない」。当時21歳のアレックス・チャップマン氏は、意を決して言葉をかけた。「すみません、あなたほどすてきな人に出会ったことがありません」。振り向いた女性は「まあ、あなたこそ」と笑顔を見せた。

チャップマン氏が英紙デーリー・テレグラフなどに語った、将来の妻との出会いだ。意気投合した2人は朝まで語り合った。2日後、女性は涙を流しながら、当時住んでいたモスクワに帰っていった。チャップマン氏はこの「一目惚れの恋」を運命だと信じた。

ほどなくしてモスクワを訪ねたチャップマン氏はすぐにプロポーズし、2人は02年3月に結婚。アンナ・クシュチェンコは「アンナ・チャップマン」となっ た。新婦は、在学していた大学院での勉強を続けるためしばらくはロンドンとモスクワを行き来する暮らしが続いたが、04年には首席で経済学の修士号を取 得、その後、生活の拠点を本格的にロンドンに移した。

■「KGBの父親」

アンナ元被告は1982年、ロシア南部の工業都市、ボルゴグラード(旧スターリングラード)で、外交官の父と数学教師の母との間に生まれた。幼少時は背 骨が湾曲する病気に苦しめられ、父が在外公館勤務をする間は故郷で祖母と暮らしたという。知能指数(IQ)162。地元の学校では才女として高い評価を受 けていた。

そんなアンナ元被告の人格形成に大きな影響を与えたとみられるのが、父、ワシリー・クシュチェンコ氏だ。

「誰のことも信用しない怖い人」

チャップマン氏は結婚後、義父に会ったときの印象をこう述べている。アンナ元被告からは、「父は(旧ソ連対外情報機関の)国家保安委員会(KGB)高官 だった」と説明を受けたという。事実ならば、ワシリー氏は冷戦時代、外交官の身分を隠れみのにしてスパイ活動や西側諸国への工作などに従事していた可能性 が高い。

若い娘夫婦のために、当時勤務していたジンバブエへの新婚旅行をプレゼントしたのもワシリー氏だった。その一方で、チャップマン氏に対する態度は尊大 で、常にボディーガードと行動するなど警戒心を解かない人物でもあった。チャップマン氏は、この厳格な父が「アンナの人生のすべてをコントロールしてい た」と指摘、アンナ元被告をスパイに道へ引き込んだのではないかとの見方を示唆している。

■変貌

新婚旅行から帰ったアンナ元被告とチャップマン氏は02年、「慈善目的」で、在外ジンバブエ人が本国へ送金するのを支援する会社を設立している。資金を提供したのはワシリー氏の友人で南アフリカ人の大富豪だった。

その一方で、アンナ元被告は航空機販売会社や金融機関で働いたものの、重要なポジションは与えられず、いずれも短期間で離職。そして、夫に「ヘッジファンドに転職した」と説明していた05年、その生活に大きな変化があらわれる。

「ロシアの友人たちに会う」と頻繁に外出するようになり、「非常に秘密主義になった」(チャップマン氏)。映画のプレミア試写会などに出入りして上流階級とのコネ作りに励み、自分が有力者と会うことをしきりに自慢するようになった。それまでの「情熱的で思いやりのある女性」は、「傲慢(ごうまん)でかんに障る」タイプへと変貌(へんぼう)した。

夫婦関係にも転機が訪れた。子供を欲しがる夫に対し、アンナ元被告が仕事を優先させるとしたことから、06年、2人は離婚。その後はメールや電話で連絡を取り合う関係になった。

アンナ元被告は同年、ロンドンを引き払ってロシアに帰国。当初は「ずっとここで暮らす」と話していたが、その後突然、米国行きに意欲をみせはじめたとい う。「彼女は米国嫌いだった。テレビに米国人が出ていると発音をまねしてばかにしていたのに」。ここでもチャップマン氏が知らない一面が顔をのぞかせてい る。

■当初から監視?

アンナ元被告がいつからスパイ活動を行っていたかははっきりしないが、チャップマン氏は「ロンドン時代に(ロシア当局者によって)飼い慣らされ、訓練を受けたのではないか」と指摘。離婚後のロシア帰国中に米国での任務を命じられた可能性は高い。

一方、米連邦捜査局(FBI)が裁判所に提出した資料などによると、今回、摘発されたスパイグループは約10年前から当局の監視下にあった。アンナ元被告は07年、インターネット関連の会社を設立してニューヨークに移住したが、こうした動きも当初から把握されていたとみられる。今年1月と3月には、マン ハッタンのカフェや本屋でパソコンのワイヤレス通信機能などを使い、KGBの後継機関である露対外情報局(SVR)関係者とデータのやりとりをしているの を捕捉されている。

そうとは知らないアンナ元被告。ニューヨークでの生活は、ロンドン時代に輪をかけて豪華なものだった。高級ブランドに身を包み、セレブの集まるパーティーで顔を売って回った。米紙デーリー・ニューズによると、08年ごろには政界に太いパイプを持つ大物ビジネスマン(60)と接触、その後、交際に発展 させていたという。

しかし、こうした活動を通じてアンナ元被告が得ていた情報はわずかだった。米誌タイムは、アンナ元被告らが送っていた情報は「テレビやパソコンで入手可能なもの」ばかりで、「何らかの機密情報を獲得し報告していた兆候はない」と報じている。

■おとり捜査

逮捕前日の6月26日、露領事館の職員を装ったFBIのおとり捜査官がアンナ元被告と接触、マンハッタンのカフェで落ち合った。普段、自分を“運営”す る職員とは別人と知りつつ姿をあらわしたアンナ元被告に、捜査官は、ある人物に偽造パスポートを渡すようにと架空の任務を与えた。

この際、アンナ元被告は捜査官に対し、「連絡用パソコンの調子が悪い」と苦情を伝え、しかも、「修理してほしい」と、そのまま手渡してしまっている。

さらに、アンナ元被告はこの“ランデブー”の後、偽名で携帯電話用のプリペードカードなどを購入。店側に提出した書類には「フェイク(偽物)ストリート99番地」という、あまりにも分かりやすいうその住所を記入していた。

FBIが捜査の過程で傍受した露本国からスパイグループへの指令には、こうあったという。

「君たちの教育や銀行口座、車、住居などはすべて、一つの目的のためにある。それは、(米国の)政策立案にかかわる集団を調査して関係を築き、(本国の)センターに情報を送ることだ」

グループはほかにも、核関連情報の入手といった任務も帯びていたとされるが、アンナ元被告は一体、どこまで本気だったのか。

ロンドン時代に覚えた贅沢を続けるための「危ないアルバイト」だったのではないか、との疑念さえ浮かぶ不用心さと詰めの甘さ。今年3月には元夫のチャップマン氏にメールで、「あなたを愛し、失ったことでたくさん苦しんだ」などと伝え、“仕事”のために離婚を選んだことへの後悔をにじませた。

KGB出身のプーチン露首相は、大統領時代から、ソ連崩壊に伴って弱体化した情報機関の強化を進めてきたとされるが、今回の事件でスパイの質の低下ぶり が改めて露呈した格好だ。「(ソ連時代の)スパイ・マスターたちの幽霊もどこかで、愛想を尽かして鼻息を荒くしている」(タイム誌)かもしれない。