ふじもとの細く長い道 (みちのく編)

ふじもとの細く長い道 (みちのく編)

2012年4月より藤本は、宮城古川民主病院で勤務を開始しました。
これから、日々の様子をお伝えします。

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テーマ「退任のご挨拶」

今日のうちの病院の朝会での私の退任のあいさつを

以下にのせてこのブログを一旦閉じようと思います。


退任のご挨拶     2016328日  藤本たか子

私、藤本は、20124月にこちら宮城の地に赴任しまして、はや4年となりました。

この度、熊本に帰ることになりました。熊本にいる私の夫が、進行性関節リウマチになったからです。

私はパーキンソン病です。人は元気にしていてもいつどんな病気に襲われるかわかりません。あるいは事故に会うかもしれません。そうだとすれば、自分に残された時間(私の場合は18年間。一方で35年は生きてやろうと思いつつも。)を大切に、自分の思うとおりに生きていったがよいと思うのです。

その意味で、私のこの4年間は実に充実した4年間でした。自分の思うように生きてこれたからです。

来た当初から考えていた被災者支援に出かけることも、宮城災害対策連絡会の月に1回のボランティア活動の中で実現できました。私は医療相談活動をしました。

また、民医連主催でホームレスのひとたちの健診がありました。これは毎年1回冬にあり、私は、毎年参加しました。これもボランティア活動でした。

病院の仕事はといいますと、主に健診・外来業務、往診を担当しました。着任してすぐ産業医の資格をとりました。健診では、塵肺の心配のある業務の人には、それ用のプリントを用意しておいて説明して渡したり、運動不足の人用に、家の中でできる運動のプリントを渡したりしました。外来ではお手玉を置きました。年配の女性患者さんにとても好評でした。往診も楽しかったです。診察後に(場合によっては診察前に)、その患者さんにあったことをリハビリとしてやるのです。お手玉、ハーモニカ、紙ふうせん、トライアングル、鈴、タンバリン、マラカス等を使いました。歌は、とくに大きな歌」が好まれました

上記ボランティア活動の他に病院外でやったことは、原発反対(途中から、戦争法反対もえて)の毎週金曜日の集会とデモに参加したり、東京での大集会に参加したり、古川駅前でスタンディング行動をしたり、古川市内の辻辻での訴えでの旗持ちをしたりした事です。また、TTP反対の集会に参加、放射能汚染物最終処分場反対の集会に参加しした。平和行進や平和の集いにも参加しました。これらのことは皆様の支えがあったから、出来たと思っています。

熊本に帰ったら週2日の病院勤務があます。施設の往診と事業所健診と聞いています。今から楽しみにしています。この間にやることとして、ホームレスの人たちや経済的理由により病院に来れない人たちの掘り起こしをしようと考えています。そうして無料低額制度につなげたいと考えています。「どの命も等しく大切である」からです。

今度は、ブログ名を〔ふじもとの細く長い道-火の国編(これまではみちのく編でした)〕として熊本から発信します。どうぞ、みなさん、御覧ください。

これまでの御支援ありがとうございました。

                   2016328日  藤本たか子