私は定期的に今の自分がどんな価値観を元に生きているのかを確認するようにしています。
いろいろ探求してきた結果、「真実は多面的で、唯一絶対の正解はない」ということが今の私のベースになっているようでした。
しかし、ここで矛盾が生じたんです。
正解がないのなら、私は一体何を探しているんだ?
以前の私は、自分の苦しみを消してくれる知恵を探していました。
いろんな知恵を知りました。
皆さんにお伝えしていない考え方もたくさんあり、それを知った時は雲間から一条の光が差し込んだかのような気分になることもあります
それでも、それは一時のこと・・・。
消えない苦痛の数々。
納得できる答えはあれど、万能ではない。
「きっとどっかに完全な知恵がある」と探し続けてきた気がします
私にとってこの地球で生きることは苦痛です。
でも、生きることからは逃げられない。
苦痛はなくならない。
ならば、私は何を探している?
そこで気づきます。
私は「苦しみから解放してくれる唯一絶対の知恵」を探しているのではなく、いろんな知恵を知りたいだけだと。
未知の知恵を求めていたのだと。
私が一番興奮するのは「その手があったか」という考え方を知った時でした。
一度知った知恵では、もうその興奮は得られないですよね。
だから次の知恵を探す。
また「その手があったか」と興奮したいがために・・・。
そんなこんなで、今の私は正解の知恵に固執していません。
世間にいろんな知恵があるけど、それらはただ違うだけで、私はその違いを楽しめばいい。
どんなにくだらなくて突拍子もない知恵も、役に立ちそうにない知恵でも「へぇ~そういう考え方もあるのか~」ってね。
知恵系の魂は知恵への無限の欲求に突き動かされて生きている。
ある者は平和への欲求、ある者は自由への欲求、ある者は美への欲求・・・。
欲望がなくなれば人間は停滞してしまいかねないからかもしれません。
マズローの5段階欲求説ってのがあるんですが、結局全部「欲」なんですよね
自分がどの欲求の中にいるかの違いだけで、それにいろんな理屈を並べて正当化しているだけ。
欲望こそが自分(人間)を動かしているという知恵。
私はこれで欲望を愛せるようになりました
ちなみに、いくら知恵への欲望を認めたとしても、現実的にいろんな知恵(情報)をむさぼるようなことはしていません。
むしろ、情報を遮断しているほどです。
私が求めているのは自分を通して創造される知恵と、必要性があって偶然知り得た知恵。
それこそが私の求める真実だと感じます。
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