飯山日記 5月21日 百聞は一「験」に如かず、飯田市のロータリー交差点 | 江沢岸生オフィシャルブログ「飯山を希望あるふるさとへ」Powered by Ameba

飯山日記 5月21日 百聞は一「験」に如かず、飯田市のロータリー交差点

昨日の飯山日記「飯田市のメガソーラー基地」に続き、同市のロータリー交差点体験記をお届けします。

ありました、飯田駅近くのロータリー交差点、ラウンドアバウト交差点ともいいます。

交差点を信号機でコントロールするのではなく、円形のロータリー化し、なかでぐるぐる時計回りしている車が優先、そのロータリーに入る車は、一旦停止し安全確認して中に入る。出るときは、左の方向指示器を点滅させ出て行く、という交通の仕組みです。

最近、私の若き友人(交通政策の研究者)が、飯田市のラウンドアバウトの社会実験をフォローしていたことに触発され、大いに関心が高まりました。

在ロンドンの日本大使館に2年駐在した公務員時代の後輩も、ロンドンではロータリーが多い、また便利だと教えてくれたことがあります。

飯田のロータリー。1947年(昭和22年)の飯田の大火(町の80%を消失)を契機に、GHQの指導もあり、防火40メートル道路を整備し、交差点がそれまでの3叉路から6叉路に複雑化したことも踏まえ、作ったのだそうです。

(ちなみに、飯山市は、1952年(昭和27年)5月の大火を契機に防火機能をもたせた25メートル道路を整備しました。)

信号がないので電気を使いません。環境モデル都市飯田市は、その点にも改めて注目したようです。そして、よりよいロータリーのあり方を検討するため、日本交通政策学会と連携して、近年、改良型ロータリーの社会実験を行ってきました。

そして、今後一定の基準に合致し、また地元住民の同意があられたところは、ロータリー式に転換するとの方針を示しているところです。

私は、ロータリー・インのあと、2周して、ロータリーアウトしました。車を停めて、たまたま近くにおられたホテル吉村のご主人とお話しをさせていただき、ロータリーにまつわる歴史なども、わかりやすく教えていただきました。

約1時間近くもお話ししたでしょうか。大阪では、ロータリーを廃止したことなども知り、ますます飯田市の社会実験の意味をフォローしたくなりました。

別れぎわには、ロータリーに関する報道を収録したDVDと、飯田の大火のついての貴重な地域誌(「(月刊)伊那」の「飯田の大火60周年記念特集」)を、「よかったらこれをもっていってよ。読んだら送り返してくれればいいから。」とお名刺と一緒に預けてくださいました。

信頼の絆といいますか、正直、そこまで信頼されちゃ、たまんないくらい嬉しい思いでした。

この「(月刊)伊那」もすごい。本格的な編集です(伊那史学会発行)。

吉村さんと別れたあと、ふたたびロータリーにインし、ふたたび2周して、アウトしました。

みなさんも、一度は、この飯田市のロータリーを見に行ってください。頭が柔らかくなりますよ、きっと。