阪神淡路大震災から12年が経ちました。

昨日は自分自身もそのニュースを読み、

そして、帰宅してからも追悼行事の映像を

見ていました。


15歳の女の子が、「3歳の時に父を亡くしました。

これからは私が震災を伝えていきます」と

まっすぐ前を見てコメントする姿を見て、胸が

苦しくなると共に、悲しみを乗り越えた強さの

ようなものを感じとりました。



ほんとはね、私、震災についてブログに載せるのは

やめようかなと思っていたのです。


家族や友達というかけがえのない人を

失った方の悲しみを自分がどこまで

理解できるかと自問した時、無責任な

コメントはできないと思った。

(私、逃げていたのかな)


でも、皆さんからのメッセージや

家族を大切に想う気持ちを知り、

私も黙ってちゃいけないなと考え

パソコンの前に座りました。


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当時、私はもちろん関西に住んでいました。

成人式を迎えて2日後の朝、突然

経験したことのない大きな揺れを感じました。

下の階からは父親の声が。

上の部屋にいる姉と私の名前を呼び、

「大丈夫か」と必死で叫んでいました。


正直、本当に怖かった・・・。

関東に住むようになって震度3以下の小さな地震を

いくつか経験し、地震に対する心構えのようなものが

自然についてきた気がします。

ただね、当時関西から離れたことのなかった私にとって、

まず、その揺れが何なのか理解できなかったのです。

「地震?」「家がなんかおかしくなっちゃた?」

胸の鼓動が早まり、どうしていいのかたじろいだ・・・。


そして、落ち着いてテレビをつけ、信じられない映像を

目にしたのです。

炎に包まれた神戸の街・・・。

2日前に振り袖を着て同級生とお祝いをしたばかりの

私にとってそれが「同じ世の中」と結びつけることが

できなかった。


しばらくは学校が休みになり、何が現実なのかわらず

衝撃が続きました。


幸い、我が家は食器が割れたぐらいで、家族は

それ以上の被害を受けることはありませんでした。


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6434人の方が犠牲となった大震災。

一瞬で人の命を奪った出来事は多くの人に

悲しみと苦しみ、そして痛みを与えました。


同じ日に成人式を迎えた方、

生きていたら今の私と同じ32歳ですね。

夢を実現したり、新しい家族ができたり、

幸せな将来が待っていただろうと思うと

何といっていいのか言葉がでてきません・・・。


改めて、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。

大切な人を失った方、何年経っても

悲しみが消えることはないかと思いますが、

少しでも未来へ希望を持って頂けたらなと

思います。

そして、大震災を経験した一人として、

私もこの出来事を忘れてはならないと

思っています。

今日は、写真なしです。

一日遅れましたが・・・今の私の正直な

気持ちを綴りました。