所感にて3人構図による
三つ巴について触れていたが
それは暗に、勇太、六花、智音のことだった。
第7話では、ついに3人の想いの糸が絡まる。
(第7話)
そして第8話の三つ巴と対比することで
これまで個人的に読み解いていた作品の訴求点に
裏付けが得られたと思う。
今回だけを取り上げれば
価値がないと捉える人がいるかも知れない。
だが、ひとたび
作品全体から第8話を見れば
中二病に対する第2期的回答が
密かに封じ込められている気がしてならない。
では3つのポイントで
個人的に読み解いていた
作品の訴求点を示してみたい。
第7話と今回における三つ巴の顕著な違いは
現役中二病ではなく
元中二病でもなく
偽中二病、あるいは
にわか中二病の菜摘の存在。
ここでポイントとなるのは
1.菜摘が偽中二病なこと
2.六花が智音に援助を求めたこと
3.森夏と凸守は互いに性質を把握していること
菜摘はマビノギオンを熟読した。
それは、凸守が狙いだからだ。
中二病は単なる小手先のツールに過ぎず
中二病のポーズをとっていただけだ。
他方、六花と智音は第7話で絆を強くした。
だから今回、邪王真眼として
魔法魔王少女ソフィアリング・SP・サターン7世に
助けを求めた。
(第7話)
六花と智音は中二病がなければ
気脈を通じることはなかっただろう。
言うまでもなく、森夏と凸守も。
(第7話)
この作品における中二病とは
一足飛びに人同士を結びつける共通言語
又は共感装置の役割を担うものと読み解いてきた。
「中二病とはシンパシー」
私が感じたこの作品の訴求点は
偽中二病である菜摘の存在で
浮き彫りになったと思う。
六花と智音についてもう少しだけ
書いておきたい。
智音の中二行動はプロに近く
六花の中二行動はアマチュア。
智音は六花より
中二病と乙女心の切り分けが進んでいる。
この切り分けが更に進むと
前期、第11話の感想で書いた
中二病スイッチのON・OFFになると思う。
智音が中二病スイッチの
ON・OFFが完璧にできるようになると
中二病と恋が両立できるかも知れない。
六花は未だに「NO 中二病, NO LIFE.」
が抜け切らないようだ。
それ故にか、恋する乙女になるに連れ
中二病の力が弱くなっている。
力の消失を甘受するのか
智音のように切り分けるのか
はたまた両立するのか。
今後の見所だ。
参考記事
【所感】『中二病でも恋がしたい!戀』
『中二病でも恋がしたい!』第11話
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