チェインバーとストライカーに見る
レドとクーゲルの違い。
選択と決断の相違でAIもまた別の回答を出す。
やはり人間の意思は重要。
マシンキャリバー同士の論戦で
それが浮き彫りになったと思う。
AI対AIは、弁護士のディベートを
観ているような気分だった。
前回の感想のコメントにて
レドとクーゲルの齟齬は
二人の本質(性格)の違いではないかと書いた。
レドは第1話で
ピニオン達の文明度や装備から
船の隔壁破壊を最初、留保している。
隔壁の外が真空なら彼らの身を危機に晒す。
それを懸念したからだ。
恐らくクーゲルとの違いは
この段階で表れていたのかも知れない。
だが、それだけでは二機の対立には
至らなかっただろう。
慎重派のリジット。
機械屋気質で短絡的なピニオン。
交流を試みやがてレドに献身したエイミー。
病弱でも強い心を持つベベル。
レドの個性は紛れもなく
様々な意思との接触で磨かれたのだ。
クーゲルが絶命しても尚、意思を継承し
神の概念を行使するに至るストライカーは
機械のロジカライズとして
洗練を極めたと言える。
だが、それは暴走で
レベルの違いはあれど原始的な機械と
実態はなんら変わらない。
人間不在でも動き続けるのだから。
主なきストライカーが
待機モードを選択しなかったのは
接触した船団の性質だけが原因でない。
そう思える。
この作品は
本来的な中庸とは何かという
教訓を与えてくれる。
統制ではなく従属でもない。
危機に備え致死性兵器も保有する。
過去に学び自他を知り
寛容と力を使い分けること。
失敗に学ぶこと。
そこにはレドだけの仕事があり
ベベルが素養を発揮できる世界がある。
ニューロプラスパワードの最終意思確認で
エイミーがレドの決心を
鈍らせているかのようだが
ピニオンに対するラケージの言動と同様に
時に支え、時に導く女性の姿を
描きたかったのだと思う。
男女は互いに支え合うべしと。
ガルガンティアは
現代日本の羅針盤ではないだろうか。
ヒディアーズは
文明そのものを否定した存在。
貴官が生存を欲する限り選択の余地はない。
チェインバーの提言に
クジライカとの融和はなかった。
しかし、チェインバーの遺言
「探求せよ」を受け取ったレドが
クジライカとの意思疎通を望むなら
いずれその日は訪れるだろう。
海底に眠るチェインバーも
その望みに同意しているはずだ。
翠星のガルガンティア Blu-ray BOX 3 |
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