私の祖母は一人暮らしをしていた。

叔父夫婦が住んでいた近くに私が小さい頃に引っ越し、それからは長期の休みがあると遊びにいっていた。
私と祖父母の関係についてとりたてて言うほどのことはない。それほど平凡で、静かな家族だ。

祖母は姉さん女房で、祖父とは一回り年が離れていた。

聞くところでは、銀座で働いていた都会的な祖母に祖父が一目惚れをして、結婚はあきらめていたという祖母に猛烈なアタックをして結ばれたという。

祖父は(というか父方の一族は)酒豪で、酔っていなかった日がなかったぐらい。
父に聞いたら、「あれだけ酔っ払って、飲みながら運転していたのに生涯一度も捕まったことがなかった」とか。
さすがに晩年は孫の送り迎えなどもあって自粛することもあったが、祖母が禁止しているのに、こっそりと隠して飲んでいたらしい。家の中ではばれるから、祖母が見ないガレージに隠し、「い、いやあ~、つきが綺麗だから・・・」などと言って外にでてビンから直飲み。生来そんな風流なもん見るような人ではない。

たばこはやめたが、酒は死ぬまでやめられなかった。
そのおかげで肝臓を悪くし、7年前の桜の季節に倒れ、まもなくいってしまった。

一人になった時点で高齢だったため、大丈夫かと心配していたが、やはり女は強いというべきなのか、案外丈夫に一人暮らしをすることができたのだ。

潮目が変わったのは二年ほど前。
バリアフリーではない自宅で転び、大腿骨骨折。
高齢なためしんどい選択だったが、ボルトを入れて完治。
非常に苦しそうだった。しかし彼女は「頑張り屋さん」なので、リハビリもして完全回復した。93、4でこれは医者が驚くほどの努力だった。

母方の祖母と暮らす今だからこそわかるが、本当に「驚異的な精神力」を持っていたのだと痛感する。
体が痛かったりしんどかったりすれば布団にこもって動きたくないだろう。(私は今それでヤキモキしている)
外に出るなんてもってのほか。
だが彼女は誰にいわれるともなく、家の敷地で「歩く練習」を自主的にしていたのだ。
今考えるとなんでそこまでがんばれるのかと思ってしまうくらいだった。



この夏に二度目の転倒。
入院してからは痴呆が進み、手術後はそちらの対処のほうがメインだったようだ。
以前から「早く死にたい」とは言っていたが、父は死にたい、死にたいとばかり言う祖母を見ているのが辛くてたまらないと言っていた。
実は医者に「もしかしたら歩けるようにまで回復するかもしれない」と言われ、逆にどきっとすることもあったが、肝機能が動かなくなり、全身がむくんでいった。点滴を自分でとってしまうので拘束され、本当に辛そうで、またそれを見ている父がかわいそうだった。







このごろはなんだか騒がしかった。

一緒に住んでいる母方の祖母にガンが見つかり、手術。

手術日当日に終わったところで、父方の祖母が亡くなったという連絡がきた。
前日まで痴呆がかなり改善されているという報告、むくみもやわらいでいたということも聞いていたので、衝撃はあった。

特になにか深い悔悟の念があるとか、そういうことはない。最後は自分の家で迎えたかっただろうなぁ、とも思ったけれども、父がそういうことをしなかったことを責める理由もない。余裕がなかったんだろうと思う。

ただ、やさしい、やさしい大好きなおばあちゃんだったという、それだけ。