東北地方太平洋沖地震 | No Music, No Life

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音楽は気持ちと生活に潤いをもたらします。音楽。それは私の生活に欠かすことのできないもの。そう、空気と同じように音楽を呼吸して毎日を過ごしています。

昨日14時頃、東北地方を中心に大規模な地震災害が起きました。
被害にあわれた皆様に謹んでお見舞い申し上げるとともに
まだ所在の確認が出来ない皆様の御無事をお祈りいたします。

私は東京大田区に勤めていますが
その直前にお客様がお見えになって対応していたところ
突然激しい揺れがきました。
お客様を事務所に招き入れ、2人で机の下に潜り込みました。
私の他に2人の従業員がおりましたが
2人ともそれぞれの机の下に潜り込みました。

私とお客様の潜り込んだ机の向かいにある棚から
厚みが20cmくらいあるファイルがいくつもバラバラと落ちて来ました。

大きな揺れが治まったあとすぐに避難路の確保。
(揺れている最中はそんな状況ではなかったので)
社内を点検したところ上記の棚からの落下物の他は
別の部屋が、揺れ方向の物入れの扉が開いていたのと
棚から軽いものが落ちたくらいのもので
大した被害は受けませんでした。

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私とお客様は緑の丸のところにいました。
棚からものがなだれ落ちてきました。

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重いものより、軽いものが先に落ちてきました。
CRTモニターは動かず、液晶モニターが倒れました。

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揺れた方向の縦に位置していた場所で
扉が空いていたり、物が落ちたりしていました。

ベランダから外の様子を確認すると
大通り(に面しているので)の交差点に警察官が出ていて
交通整理をしていました。

多くの人がビルから出てきて様子をうかがっていました。

非常口で人声がするので行ってみると
エレベーターが止まってしまい
非常階段への扉に鍵をかけてしまっていた
上の階の住人が、家に入れずに困っていました。

間もなく外回りに出ていた社長が戻り
(他の従業員は私も含め女性ばかり)
棚から落ちたものを片付けている最中に
2回目の地震(茨木沖の)がありました。

お客様が用件を済ませて帰られたので
中学生のいる従業員に帰宅するよう指示。
帰社途中で電車に閉じ込められた従業員には
動き出したら帰宅するように指示。

私は自宅に電話が繋がらず
メールで家に娘がひとりなのが分かりました。
長男と高齢の両親が外出しており、行方が分からないので
後片付けを社長に任せて帰宅しました。

幸い、両親・長男はちょうど私が家に帰ったと同時に
外出先から戻ってきていましたが
メッキ工場に勤める次男が心配でした。

夕方になってようやく次男からメール。
亜鉛が漏れ出して消防車を呼ぶ騒ぎになったそうですが
幸いに火事にならず、また怪我人も出なかったそうです。
月曜日に片付けが大変だとぼやいていました。

都心に勤める横浜在住の弟とも連絡が取れ
家族が無事だということが分かりました。

弟の嫁さんの実家が茨木ですが
無事だということも分かりました。

夕方、少しの時間電話が復帰したタイミングで
九州の叔母(母の妹)から連絡が入りました。
彼女は阪神淡路大震災の時に
神戸市灘区で被災した息子がいるので
大変心配していました。

今日は会社の様子が気になって
朝から何度か電話をしましたが繋がりません。
実は従業員のひとりは横浜から電車通勤なので
昨夜は帰れなかったはずです。
社長の姪なので、社長の家に泊まったかしら。

東京でも怪我したり亡くなったりした方がいる中
家族や従業員に怪我人がでなくて幸いでした。

まだ余震がありますし、ずっと揺れているような錯覚があります。
早く治まるといいですね。

被災地の方に一日も早く救いの手が延べられるよう
できることに協力をしたいと思います。

最後に、今回の地震で亡くなった方々のご冥福を
心よりお祈りいたします。

Rest in peace