引き続き、阪急交通社トラピックス「新クロアチア・スロベニア・モンテネグロ・ボスニア・ヘルツェゴビナ4カ国周遊10日間」の6日目の報告です。
6日目のスケジュールは以下の通りです。

◎6日目(2009年8月17日)
 8:30 ドブロヴニク観光(約4時間)
      ドブロヴニクの展望ポイント
      ピレ門、フランシスコ修道院、プラツァ通り、スポンザ宮殿、旧港、
      旧総督邸、大聖堂、オノフリオ小噴水
10:30 城壁めぐり(半周約30分、1周約1時間)
11:50 旧市街のレストランで昼食
13:10 バスでコトルへ(約88㎞、約2時間15分)
      途中、国境を越えてモンテネグロ入国
15:00 コトル観光(約1時間)
      ボカコトル湾、旧市街(聖トリプン大聖堂、城壁)
      その後、カーフェリーにてコトル湾を横断(約25分)
      途中、国境を越えてクロアチア入国
19:30 ホテル「インポータンヌ・リゾート・ネプチューン」到着
19:50 ホテルのレストランで昼食
      バスでドブロヴニク旧市街へ
21:30 旧市街散策
23:30 ホテル「インポータンヌ・リゾート・ネプチューン」到着


まず、「アドリア海の真珠」と呼ばれているドブロヴニクの歴史について簡単に触れておきます。
ドブロヴニクは現在のプラツァ通りを境に、本島と海峡を挟む小島に分かれていました。7世紀には本島側にローマの植民地として人々が住んでいましたが、移住してきたスラブ人によって攻撃を受け、難を逃れて小島に人々が住みついたことがドブロヴニクのルーツとされています。小島はラグーナと呼ばれていました。
11世紀になると、ヴェネチア共和国の影響下で発展し、1358年ラグーサ共和国として自立するようになりました。その頃、主にローマ人が住んでいた島の部分とスラブ人住む本島側の町が海峡を埋め立てることによって、両者の融合はさらに進んでいきました。合併後、融合した町のまわりに城壁をめぐらし、現在のドブロヴニクの形になったとされています。ドブロヴニクという名も「ラグーナ」を意味するスラブ語からきています。
15世紀になると地中海の商業都市国家として全盛期を迎えることになりましたが、巧みな外交交渉により、激動するヨーロッパの中において大国に支配されることなく、400年にもわたり独立権を守り続け、様々な国々との交易で繁栄を極めていました。
1808年にナポレオンがドブロヴニク共和国を征服し解体すると、1815年以降にオーストリア・ハンガリー帝国の一部として組み入れられました。第一次世界大戦後に帝国が解体されると、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人からなる王国が建国され1929年に成立したユーゴスラビア王国領となりましたが、第二次世界大戦後、相次ぐ内戦によりその存在は消滅しました。
1991年、クロアチア共和国の独立とともにクロアチア領となりましたが、内戦によりかなりの被害が出ましたが、その後復興を遂げ、現在に至っているわけです。
以上がドブロヴニクの歴史になります。
ヨーロッパの街歩き-ドブロヴニク旧市街2 ヨーロッパの街歩き-ドブロヴニク旧市街


宿泊したインポータンヌ・リゾート・ネプチューンはドブロヴニク旧市街から離れた新市街近郊にあるホテルで、周辺には系列ホテルが並んでいます。施設も整っており、綺麗でランクの高いホテルでした。
ヨーロッパの街歩き-インポータンヌ・リゾート・ネプチューン


朝起きて、カーテンを開けると昨日ホテルから見られなかったアドリア海が目の前に広がっているのが見えました。天気も良く、青い海には白い船が行き交っていました。残念ながらドブロヴニク旧市街の町並みはここからは見ることはできません。
ヨーロッパの街歩き-アドリア海


朝食レストランは別棟の建物でしたが、ここからの眺めは本当に最高です。眼下にアドリア海が広がり、朝から贅沢な気分でした。
ヨーロッパの街歩き-インポータンヌ・リゾート・ネプチューン ヨーロッパの街歩き-インポータンヌ・リゾート・ネプチューン


朝食はバイキングで種類が豊富です。
折角なので、海風を当たりながらテラスで朝食をとることにしました。
ヨーロッパの街歩き-朝食「インポータンヌ・リゾート・ネプチューン」. ヨーロッパの街歩き-朝食「インポータンヌ・リゾート・ネプチューン」.


ホテルからバスで約10分ほど走ったところにドブロヴニク旧市街があります。
はじめにドブロヴニク旧市街が一望できる展望ポイントまでバスで移動しました。途中、バスの右窓からもドブロヴニク旧市街を見ることができました。
ヨーロッパの街歩き-ドブロヴニク旧市街


展望ポイントから見たドブロヴニク旧市街です。
ヨーロッパの街歩き-ドブロヴニク旧市街 ヨーロッパの街歩き-ドブロヴニク旧市街


再びバスでドブロヴニク旧市街に戻り、メインゲートであるピレ門から入場しました。
旧市街に入るには2重になっている門をくぐり抜けなくてはならず、門を守る衛兵も常駐していたことから、警備の厳しい入口であったことがわかります。また、日没になると門の前にある跳ね橋が上がり、門扉が閉じられ、厳重に鎖鍵がかけられていました。鎖鍵は総督が管理し、朝までは誰も立ち入ることができなかったようです。
ヨーロッパの街歩き-ピレ門


門の上にはドブロヴニクの守護聖人である聖ヴラホの像があります。
ヨーロッパの街歩き-ピレ門の聖ヴラホ像


ピレ門をくぐり抜けるとさらにもうひとつの門があります。戦争被害の地図もここにありました。地図には1991年12月6日にクロアチアの独立に反対するセルビア人を中心としたユーゴスラビア連合軍がドブロブニクに二千発の砲弾を落とした場所を示していて、砲弾が直撃した場所、屋根が落ちた場所、飛び散った破片で破壊された場所などが1つひとつ詳しく示されています。
ヨーロッパの街歩き-ピレ門 ヨーロッパの街歩き-戦争被害の地図


旧市街に入るとすぐ右側には大きなドーム型のオノフリオ噴水があります。水不足を解消するため、スルジ山の北側にある水源から水を引き、1438年につくられたもので、制作に携わったナポリの建築士、オノフリオ・デッラ・カーヴァからその名がつけられたものです。噴水には16の人のレリーフがあり、各レリーフの口からは水が絶え間なく流れています。
ヨーロッパの街歩き-オノフリオ噴水 ヨーロッパの街歩き-オノフリオ噴水
ヨーロッパの街歩き-オノフリオ噴水


フランシスコ修道院はオノフリオ噴水の向かい側に立っています。高い外壁がある建物で14世紀に建設されました。
ヨーロッパの街歩き-フランシスコ修道院


回廊は14世紀のロマネスク様式のものです。柱は二本組になっていて、柱頭部分に様々な動物や植物が彫られています。
ヨーロッパの街歩き-フランシスコ会修道院回廊 ヨーロッパの街歩き-フランシスコ会修道院中庭


回廊内には創業1317年のクロアチア最古の薬局があり、現在でも営業を続けています。現存するヨーロッパで三番目に古い薬局といわれています。
ヨーロッパの街歩き-フランシスコ修道院薬局 ヨーロッパの街歩き-フランシスコ修道院薬局1


15世紀ごろのドブロヴニクの地図が回廊内に飾られていました。
ヨーロッパの街歩き-ドブロヴニク地図


中庭には15世紀からの井戸があり、教会内にも水を引いて花や植物が植えられていました。
ヨーロッパの街歩き-フランシスコ修道院中庭


旧市街を東西に貫くプラッツァ通りは、ピレ門からルジャ広場まで続くメインストリートで、全長約300メートルあります。通りの両側にはカフェやショップ、銀行などが立ち並び、小さな路地が網の目のように延びています。
かつてはプラッツァ通りを挟み、向かって右にラテン人居住区、左がスラブ人居住区がありました。
ヨーロッパの街歩き-プラツァ通り ヨーロッパの街歩き-プラツァ通り


聖ヴラホ教会はドブロブニクの守護聖人である聖ヴラホを祀る教会で、現在の建物は1715年に建てなおされたバロック様式のものです。聖ヴラホはトルコのシヴァスという町の司教で、316年にキリスト教弾圧の際、殉教したといわれています。ドブロヴニクの守護聖人になったのは972年、ドブロヴニクの聖職者の夢に現れ、ヴェネチアの襲撃を告げたため、事前に備えることができたからとされています。
ヨーロッパの街歩き-聖ヴラホ教会


スポンザ宮殿は1520年に建てられたヴェネチア建築の影響を受けたダルマチア地方独特の建築物で3階には聖ヴラホの像が取り付けられています。地中海の交易都市であったドブロヴニクを出入りする物資などの検疫や税関が置かれていました。その後、造幣局や財務省としても使われていましたが、税関としての機能が衰退していくと内部に文化アカデミーが置かれ、学者や知識人が集う場所へと変わってきました。1667年の大地震に見舞われた際も、スポンザ宮殿だけが被害を免れたことから、現在でもここには商取引に関する文書や共和国時代の公文書なども保管されており、ドブロヴニクの歴史を知る上で欠かせない貴重な資料が収められています。
ヨーロッパの街歩き-スポンザ宮殿と時計塔


ルジャ広場にあるローランドの像は町の自由の象徴で、1418年に制作されたものです。ローランドは8世紀にカール大帝に仕えた騎士の一人で、ヨーロッパにある多くの町にこの像が立てられています。このローランドの右腕半分(肘から手まで)の長さが「ドブロヴニクの肘(51.2㎝)」と呼ばれ、当時の商売取引の際に使用する長さの単位の基準になっていました。巻尺や物差しが普及していなかった当時、公正な取引になるよう公共の広場にある像の肘で長さを計測していたといわれています。
ヨーロッパの街歩き-ルジャ広場のローラント像


ルジャ広場から大聖堂のあるマリン・ドルジッチ広場はプレド・ドブロム通りと呼ばれ、旧総督邸や市庁舎、オノフリオ小噴水などがあります。
ヨーロッパの街歩き-プレド・ドブロム通り ヨーロッパの街歩き-プレド・ドブロム通りとスルジ山


市庁舎前にあるオノフリオ小噴水はオノフリオ噴水と同時期に作られたもので、現在でも使用されています。
ヨーロッパの街歩き-オノフリオの小噴水


旧総督邸は6つのアーチがある柱廊がある建物です。当時の総督邸には執務室や裁判所、牢獄のほか、住居までが置かれていました。総督は貴族の中から選ばれ、任期は1ヵ月、権力者による独裁を防ぐため、任期を短くしたといわれています。現在は博物館として公開されていて、城門の鍵などもここに保管されています。
ヨーロッパの街歩き-旧総督邸


マリン・ドルジッチ広場に面して、バロック様式のファザードがある大聖堂が立っています。もともとここにはビザンチン時代にパシリカ教会が建てられていましたが、1192年にイギリス国王リチャード1世の資金援助でロマネスク様式に建て替えられました。その後、1667年の大地震で崩壊し、その後、1713年にバロック様式で再建されました。大聖堂の主祭壇にはイタリアの巨匠ティッツィアーノの「聖母被昇天」があり、その左手にある宝物庫には聖遺物が多く保存されています。
ヨーロッパの街歩き-大聖堂 ヨーロッパの街歩き-マリン・ドルジッチ広場と大聖堂


ポンテ門を抜けると旧港にでることができます。
ヨーロッパの街歩き-ポンテ門


旧港はドブロヴニクでも最も古い歴史のある場所で、全盛期の15世紀には地中海の商業都市として世界各国との交易港としての役割を担っていました。現在は、主要港としては使われておらず、観光用の船の発着の場としてロクルム島などへのボートが出ています。
また、目の前には標高412メートルのスルジ山そびえていて、カメラで山頂をズームしていくとナポレオンが建てた白い十字架を見ることができます。この山頂からは旧市街を一望できるパノラマスポットがあり、多くの観光客でにぎわっているようです。
ヨーロッパの街歩き-旧港 ヨーロッパの街歩き-旧港


旧市街をひととおり見た後、城壁散策にレヴェリン要塞へと向かいました。
城壁の上は遊歩道になっていて、入場料は50クーナでピレ門までの半周が約30分、1周が約1時間かかると言われていますが、観光客も多く、写真やビデオなどを撮影しながら回ると実際にはそれ以上かかるような気がします。城壁をひたすら回ることだけに集中するだけであれば20分で回れるような強わものもいるということでしたが、ドブロヴニクでの自由時間はこの時間だけなので、半周だけして残った時間は買い物に当てることにしました。もちろん、オプショナルツアーでモンテネグロに行かなければ、午後は丸々自由時間なので、買い物に専念することは可能ですが、ツアー客のほとんどが1周回っていなかったと思います。
ヨーロッパの街歩き-城壁


レヴェリン要塞から城壁を上ると最初に見えてくるドミニコ会修道院です。高い外壁で覆われたドミニコ会修道院はレヴェリン要塞が建てられる前の14世紀には城壁の外にあり、ドブロヴニクの北東を守る要塞としての役割を果たしていました。15世紀になると城壁が延長され、修道院が城壁内に取り込まれるようになりました。現在は修道院の中に美術博物館があり、価値ある宗教画が収められています。
ヨーロッパの街歩き-ドミニコ会修道院 ヨーロッパの街歩き-ドミニコ会修道院
ヨーロッパの街歩き-ドミニコ会修道院


城壁をさらに進むとオレンジ色の屋根瓦が並ぶ旧市街とアドリア海、ロクルム島のすばらしい景観を楽しむことができます。
ヨーロッパの街歩き-城壁から見た旧市街 ヨーロッパの街歩き-城壁から見た旧市街とロクルム島
ヨーロッパの街歩き-ドブロヴニク旧市街 ヨーロッパの街歩き-城壁から見た旧市街


ピレ門までどうにか到着しましたが、城壁はまだまだ続きがあります。
1周は無理と判断し城壁を降りることにしましたが、ピレ門の出口階段はかなりの急勾配で、降りるのも一苦労しました。
ヨーロッパの街歩き-城壁 ヨーロッパの街歩き-城壁
ヨーロッパの街歩き-城壁


城壁散策後、フランシスコ修道院の薬局に立ち寄り、友人から依頼を受けていた薬を購入しました。入店時はタイミング良く誰も客人がいなかったため、スムーズに購入することができたのですが、会計時には多くの人が入店してきました。タイミングがずれてしまうとかなり待たされることになるので、本当にラッキーでした。
ヨーロッパの街歩き-フランシスコ修道院薬局


その後は、プラツァ通りのお店を見て回りました。それにしてもプラッツァ通り沿いのお店の窓枠は少し変わった形をしています。
ヨーロッパの街歩き-旧市街ショップ ヨーロッパの街歩き-旧市街ショップ


昼食はピレ門を出てすぐのバスターミナルそばにある「SESAME」というレストランでシーフードを食べました。
ヨーロッパの街歩き-昼食「ドブロブニク旧市街」 ヨーロッパの街歩き-昼食「ドブロブニク旧市街」
ヨーロッパの街歩き-昼食「ドブロブニク旧市街」


昼食後、モンテネグロのコトルに向けて出発しました。コトル観光はオプショナルツアーでしたが、2名のツアー客を除き、ほとんどの方は参加していたようです。参加しない方は、ドブロヴニクでの自由行動となります。
さて、バスで旧市街のバスターミナルから出発し、旧市街を右手眼下に望みながらひたすらアドリア海を南下しました。1時間もするとクロアチアの国境に差し掛かりました。これまでヨーロッパ周遊ではパスポートチェックなしの通過しかしたことがなかったのですが、クロアチア出国時、バス車内に税関職員が乗り込んできて、パスポートチェックし、スタンプを押してもらいました。スタンプは飛行機でヨーロッパに入国に押してもらうスタンプとほぼ同じもので、飛行機が車のマークに変わっただけのものでした。通常、クロアチアからモンテネグロ方面への出国・入国の際、車の渋滞と手続きに時間がかかるといわれていますが、運よくスムーズに済ますことができました。


次回はモンテネグロ入国から報告します。