タロットリーダー碧海ユリカのスピリチュアルコラム 碧海ユリカと読む「奇跡のコース」 -194ページ目
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運と意識Ⅱ

コラム第一回の続きです。今回は意識がどのように作用するのか具体的な例を挙げてお話します。

実例1ある人は今まで交通事故やら破産の危機やらをいくつも経験してきました。いわゆる「九死に一生を得た」ことが何度となくあったのです。本人はその度に「自分は生かされているのだ、守られているのだ」と感謝と感動を強烈に味わい、そういう自分は特別な人間なのだと思うに至っています。そして現在もこの人の生活にはいろいろな危機が絶えないのですが、「いつか良くなる」と信じているらしい。これは一見プラス思考のようでもありますが・・・裏返してみればこの人の人生は過剰なまでに「九死の連続」なのです。しかもそれらは周囲から見ればたいていは不可抗力でなく「十分防げたのに」と思うことばかりです。つまり「本当は無くたっていい」危機を経験することを自ら選んでいる。それらの窮地が、そこから「救われる」ことの快感や「生かされている、素晴らしい!」という生の実感を味わうために必要な道具立てになってしまっている。本人にとっては安定を得ることよりも「守られている、救われた」という感覚を得ることの方が優先されているのです。これではいつまでたっても良くはならず同じことを繰り返すばかりでしょう。

実例2 ある女性は自分に自信がないので恋愛をするのが怖い。しかしもちろん本人は「恋がしたい、恋人が欲しい」と痛切に思っています。ところが好きになるのは「何故かいつも」妻子や彼女がいる男性ばかり。なにしろ自信がない人ですからそれがわかった途端に「とても私が入り込む隙はない」と諦めてしまい、自分にはつくづく恋愛運がないのだと落ち込むのです。初めは知らなかったにしても結局「妻・恋人がいました」とわかって「やっぱり、また」と思うのです。彼女がこういう男性ばかりを対象にしてしまうのは、何の問題もない相手を選んでそれでもダメだった、ということになるのが最も怖いからです。自分自身に原因があってダメだったのではなく相手が既に「売約済み」だったから仕方なかった、と思うほうがずっと楽。だから「恋愛をしないで済む」=「より傷つかないで済む」状態に自分をおいているのです。

また、実は「悩んでいないと恋愛している実感が湧かない」ので自分を悩ませるような男性ばかり選んでいる女性もいます。

同じようなことを経験していてもその理由は千差万別なので、「妻・恋人あり」に惹かれてしまう人の全てが上記の例と同じ内面というわけではありません。いずれにしろ本人は無自覚です。「何故か」自分はいつもそういう目にあう、だからそういう「運命」なのだろうと思ったりしている。自分が深いところで何を望んでいるか(知らないうちに辛い経験を望んでいることがあるのです!)を知るのが人生の経験を変える第一歩です。(この項続く)

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願掛けについてー基本的メカニズム

新年を迎えて初詣の折に自他の幸福を祈願なさった方も多いことでしょう。今回はこの「願掛け」について考察します。

まず、お参りする対象が何か、ということは重要ではありません。それがどこの神社であろうとご先祖さま、守護霊であろうと大天使やマリア様であろうと、「これは効くがあれは効かない」などということはありません。願っている自分の意識が「個」を超えた広大かつ普遍的な意識(これを宇宙意識と呼ぶ場合もあります)にコネクトすることだけが肝要だからです。拝んでいる瞬間だけでも自分が消失してしまった感じがするかどうか、後で振り返って見て下さい。要するに自分が心から信じられるもの、向き合ったときに清浄な気持ちになれるものに対して行えばよい、というわけです。もしも「あそこの神様はご利益があるそうだ」と聞いて俄然その気になるなら、それはひとつの信念を作ることに繋がるのでその分効果が出やすくなるでしょう。

願掛けの際に身を清めたり何らかの様式に従ったりするのも全て「日常の自分」から「普遍的なもの」に次元を移行させやすくするためです。何であれ「ただそう思う」よりも身体を使って行うほうが意識の次元も変わりやすくなるのです。

もっとも重要なことは、何かお願いしたならもうそのことで悩んだり心配したりするのをやめなくてはならない、ということでしょう。何故なら一旦その問題を神様なり守護霊なりに「お任せしお預けした」からです。「この病気が治りますように」と願ったその夜から「また悪くなるかしら、治らなかったらどうしよう」などとまたぞろあれこれ悩んでしまうとせっかく願い事をしてもうまくいきません。お任せしたのに悩む、というのは「願望が聴きいれられないかもしれない、と不安に思うこと」であり結局それらの「神仏・霊などの力を信じていない」、相手を信頼していないのと同じこと。つまりそれらとのコネクトを自分から断ち切ってしまうことになるのです。皆さんもよくご存知の「潜在意識の法則」と同様、これもまた「信じるからこそ達せられる」のです。一旦、真剣にお願いしたならもう安心してそのことは心配せず「お任せ」しておく。こうすれば貴方の願望が叶えられる確率は大きく上がるはずです。そして少しでもご利益があったと感じたら必ず「お礼」に行くことも大切です。それが無理ならせめて感謝のお祈りくらいはしてください。一般的な願望実現のメカニズムについてはまた改めて詳しく述べるつもりです。

運と意識ーそれは本当に運なのか(改訂版)

HPの「スピリチュアルリーディングとは」のコーナーでも触れていますが、一般的に「運」と思われている

ものの大部分は本人の意識によってもたらされています。つまり生来のものや変えようがないもの

ではないのです。この場合の「意識」とはいわゆる潜在意識と顕在意識両方を含んだものを

指しますが、平たく言えば「あなたは無自覚なままにそういう経験を自ら選んでいるのだ」と

なります。何らかの事情により意識の中に刻印されてしまった「設定」があり、その自覚がない

ままにそれに従って動いているのです。このあたりのことは最近の脳科学でも研究されている

ようです。では、その「意識」はどう作られたのか。いろいろなケースがありますが、幼児体験

から始まって(面白いことに前世の経験がここで繰り返されることが多いです)どこかの時点で

経験したことが先に述べたように意識の中に「設定」として収まってしまうのです。リーディングの

過程でこのような「原体験とそれによる設定」が出てくることもあります。例えば「大切な人に

見捨てられる」恐怖がある人は、繰り返しそれを味わうような経験をするわけです。ということ

は、これらのことがクリアになればかなりの問題がシンプルに整理されますし自分の中の「設定」

が分かればそれを変更することも可能になるのです。

人生とは一種の自然現象でもあるので当然晴れたり曇ったりの波は避けられません。しかし、

いつも同じ失敗ばかり繰り返している人、同じような経験ばかりしている人はちょっと考えて

みたほうが良いでしょう。

人生には波がある、と言いましたが確かに流れが停滞しているように見える時期があります。

しかし自然の流れにうまく乗れている人はこういう時期それこそ自然に「ちょっと休みたくなる」

のです。一方死ぬほど多忙な時期もありますがそういう時は自然とやる気に満ちてくる。そんな

人々にとってはどちらも自分の意識が自然の流れと一致しているので「悪い時期」などとは

全く感じられないのです。これらの「流れ」を「運勢」と呼ぶこともできますが、こうしてみれば

「運勢の良し悪し」などという言い方はしにくくなるでしょう。

もう一つ。「運が良かった」「運が悪かった」という言い方は一種の「魔法の言葉」じみたところがあります。何かを成し遂げた時それが自分の実力や努力の結果だと思っていても「運が良かったのだ」と言うことによって、ともすれば陥りがちな慢心や他人からの敵意という危険を免れることができますし、どうにもならないようなひどいことに見舞われても「運が悪かった」との一言で気持を切り替えることができるならそれも満更捨てたものではありませんよね

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