何ヶ月か前の私は


「嫌いという感情」&「嫌うという行為」について


罪悪感を感じていた様な気がする




考えてみれば、子供の頃から


「好き嫌いはいけない・みっともない・我儘な行為だ」


躾けられていた気がする



社会の当たり前・常識という感じだった


あからさまに嫌いとという感情を持ったり出したりしてはいけないと



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好き嫌いに係る記憶で、すこし怖いものがある




それは小学校の3年生の頃の記憶だ


クラスメートの一人が牛乳が飲めない子だった

クラスでただ一人だけ牛乳が飲めない子だった


「牛乳が嫌い」というより飲み込めないのだ

吐き出してしまう


味が嫌いという感じではなく

吐き出してしまうから口にしたくない・・・

そんな感じだった

(大人になって思い出してみるとそんな風にかんじた)


このクラスは小学3年生の時にクラス替えがあり

新しい先生はベテラン女性教師だった

バリバリの戦中派

食べ物の無い時代を生き抜いた人だ

(ちなみに私は昭和の生まれ・・・昭和50年代に小学校に入学しています

おばさんですよ)

そんな先生からみたら・・・・


「我儘で躾のなっていない糞餓鬼!!!」

「いま誰かが躾しないと一生我儘で迷惑な人間として生きるだろう」


という感覚だったのかもしれない・・・・


クラス替えがあり、暫くして

牛乳が飲めない彼に対し先生は

給食の時間に牛乳を飲む練習をさせるようになった・・・・


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この文章を書き始めたら

長くなることに気がついたので3部くらいに分けてかきます


このブログに遊びに来て下さった方々へ

ありがとう

もうすでに不穏は空気に包まれ始めたこのブログ

不愉快な人もいたかもしれないです

不快感を感じた方に

申し訳ありません・・・・