8月20日、大分県佐伯市が生んだ嘉風 雅継(よしかぜ まさつぐ)関 の東京後援会の発会式が在京大分県関係者多数の出席のもと開催され、風関の大成を祈念しお祝いに駆けつけました。先場所は、西前頭筆頭の地位にあり178センチ、140kgの恵まれた体格を有し、突っ張りやいなしを駆使した、スピード感を有しなおかつ思い切りの良い相撲を取る嘉風関への期待は大きいものがあります。日体大3年時には"学生横綱のタイトル"を獲得して尾車部屋入門し、平成16年(2004)1月に初土俵を踏み、先場所では西前頭筆頭の地位を獲得。昭和の大横綱双葉山を生んだ大分から平成の横綱をとの期待が込められます。
衛藤 征士郎ブログ Powered by Ameba
 かつて私も大分県玖珠町の森中学校当時、相撲部の主将として団体戦では、県下の大会で優勝の栄にも浴しました。監督の方針で団体戦を戦ったものは、個人戦に出場しないとの方針から個人戦は戦えませんでしたが、当時県下一であるとの自負を持っておりました。
 来年は、宇佐市が生んだ"昭和の大横綱双葉山生誕100周年"を迎えます。今、大分空港では、「双葉山生誕100年のパネル展」が行なわれており多くの方がこの展示に足を止めて双葉山の偉大な功績を偲んでおられます。前人未踏の69連勝を続けていた双葉山が安芸ノ海に敗れるのは、昭和14年1月場所の4日目であり3年ぶりに黒星を喫します。この敗戦に動ぜず変わったところも見せず、知人に電報を送りその電文に「われいまだ木鶏たりえず」(木で作った鶏のように無心の境地に至れなかった)と自分を戒め更なる精進を誓ったのです。連勝がストップしてもまったく動じない土俵態度、この言葉に込められた土俵への熱い思い。孤高なまでに相撲道と向き合い、己の限界に挑み続けた大横綱 双葉山の重い一言です。この一言をご紹介して激励の挨拶としました。