ハトポッポ体操 Ⅰ | エトナ火山のお嫁さん(自分史編)

ハトポッポ体操 Ⅰ

弱視の世界っていうのはどんなものなのか、その経験がない人に表現するのは難しいです。

自分にも普通に見えたことがないから、「本当の不自由さ」って逆にわからなくてすんでいるんじゃないかと思ってるんですが・・・。


自分が人と比べて目が不自由だと感じるっていうより、

これが私の世界なんだ!

どうしてみんな私のことわかってくれないんだ!

・・・って率直に態度に表してしまう、それが子供なんじゃないのかな?


保育園に行って普通の視力を持ったお友達と接するようになって、初めて自分が彼らの中に入っていくのに無理があるんだってわかりました。

指導してくださった保母さんの方だって、弱視あるいは全盲の子供を指導する方法を特別に勉強したわけではないですものね。


母が保育園に連れて来たあと、ハト組みさんのお部屋の出口でわんわん泣いていた私に、飛びかかって来る子供たちがいました。

泣き虫!ってののしる子もいれば、あっ!真美ちゃんだ。 泣いてないで遊ぼうよ!って誘ってくれる子供たちもいたんです。

でも私にとっては、泣いてた上にろくに相手の顔の表情がわからなかったから、自分に飛びかかって来るお友達がただもうこわくてこわくてたまらなかったんですね。

ずっと「みんなからいじめられている」って思い込んでたのかも。

だから寄って来たお友達をみんな突き飛ばして、一人で疲れるまで泣きつづけました。


視覚障害の子供たちとの接し方その1 大声を出していきなり身体をさわらない

(相手の表情がわからないので、恐怖心を与えてしまう)

これの大人に対する応用が、白状を持って歩いている人に突然大声で注意しない。

走ってきて自転車のベルや車のクラクションを鳴らさないっていうことになりますね。

私たちには相手がどこにいるのか、自分がどこに行ったら良いのか、一瞬には判断できないんです。

パニックになって自分がどうしていいのかわからなくなり、立ち往生してしまったら事故の元で逆効果!


また、図工やお絵かきで他の子供たちの作品を盗み見したり、先生のお手本を見たりすることができなかった私は、よく自分の勝手な解釈で、一人でとんちんかんな物を作ったりしていました。

組み全体の共同工作(たとえば七夕様の紙のわっか作りなど)ではみんなの作品を逆に壊していきました。

つまりわっかの中にみんなのりをつけて、十字型につぶして貼り付けていっていた!!!

決して悪気があってやっていたことではないのに、みんなからぎゃんぎゃん怒鳴られた私は、例によって泣かされるハメに。


視覚障害の子供たちとの接し方その2 お手本は遠くでみんなに示しただけではだめ。

その子にだけ特別に繰り返して、子供の手をとって教えること。 

子供は目ではなく、手の感覚によって物を覚えていくんです。

視力によっては子供の目の前で、指導者や子供の手を目に近づけて教えると上手に覚える子もいます。(エトナがそのいい例)