こんにちはあかちゃん♪ | エトナ火山のお嫁さん(自分史編)

こんにちはあかちゃん♪

母にとってはつらい3年間でした。

初めての子供が目の病気で生まれてきたので、次の子供が心配。もう産みたくはないとお茶の水の病院で訴えたそうです。

けれどもお医者さんは、兄弟は真美ちゃん(私の名前)の情緒教育にとっても必要ですよ。

遺伝性の病気ではなかったのだから、安心して次の子の計画をしてくださいって励ましてくださったそうです。


妹が生まれた時のことを、210ヶ月だった私はよく覚えています。

いつもおうちにいるはずのお母さんがいなくて、ずっと別のところに泊まっていたんだもの。

こういう変動って、きっと子供にはよほどショックなことなのでしょうね。


母は病院のベッドで寝ていました。

病室にはもう一人、女の子を産んだお母さんが赤ちゃんにミルクを飲ませていたのを覚えています。


その別のお母さんが、私を見てかわいいねぇって誉めてくれたことも、小さなおまんじゅうをつまよう枝でさして手渡してくれたことも覚えています。

父がつまよう枝を私が食べないように、あわててぬきとってくれましたっけ。

でも私はおまんじゅうを父に取り上げられたのだと思って、ひえーん!って泣きました。

そしたら「病院で騒ぐんじゃないっっっ!

って父にきつく怒られちゃった。


新生児室の窓は、よちよち歩きをしていた私には高すぎたので、父が私をだっこして覗かせてくれました。


「ほらね、赤ちゃんがいっぱいいるねぇ。あそこにいるのが真美ちゃんの妹だってよ。

仲良くしなきゃダメだよ。 真美ちゃんもうお姉ちゃんなんだから」


私の目には、新生児室はとても暗く見えました。 天井に、青っぽい小さな電気が灯っていたような気がします。

手前の方に寝ていた何人かの赤ちゃんの顔が見えたけど、みんなを見渡すのはとても無理でした。

「どれぇ? まみちゃんのいもうと、どれぇ?」

「あっちだよ。あっちって言ってるだろうが」

父の声がちょっといらいらしたように感じました。

視力に障害のある人の前では、あっち、そっち、ここ、あそこという言葉は禁句なんだけど、エトナの両親はまだまだ初心者だったんですね。


今日も母は病院泊まり。 

一緒におうちに帰ってはくれませんでした。

でも私にはちゃんとわかっていたんです。

自分に妹ができたことも、お母さんは赤ちゃんがまだ小さいから、病院から出てこられないんだということも。


父が運転する車が、病院をあとにしました。

遠ざかる玄関まで送ってきてくれた母のシルエットが、逆光で黒く見えました。

私は一人ではしゃいで歌っていました。


こんにちはあかちゃん♪

はやくおかあさんといもうと、かえってこないかな♪