いちばん古い記憶は病院 | エトナ火山のお嫁さん(自分史編)

いちばん古い記憶は病院

全体的に何となく白いイメージの部屋。

自分が寝ていたベッドのシーツも、枕もとの壁も天井も何もかも・・・

左手の台に置かれたランプには白く透けたような傘がかぶされていたような気がします。

窓の外では沢山の鳩たちが、クルックー、クルックーと多重コーラスをやっていました。


私は泣いてました。 子供のことだもの、何故だかはっきりしたことはわかりませんけどね。

たぶん、鳩の鳴き声が怖かったんじゃないのかな?

そこは自分が住み慣れた家ではなかったし、家にも近所にもこんな変な声は聞こえなかったもの。


母は私の右側で添い寝をしていました。

妹がお腹の中にいたかどうかはさだかではありませんが・・・。

母は私が3歳になる二ヶ月ほど前に妹を出産したので、幼児の手術などという大変なことを出産後にすることはなかったと思うんです。


これが地中海性気候みたいなエトナの一番古い記憶です。 なんと、病院!!


2歳の頃に,エトナはT大学病院に入院していました。

理由は右の目の手術。 白内障から緑内障になってしまっていたんだそうです。


この手術を受ける前,母は私を背負って良い病院を見つけるために東京中を探し回りました。

保険の効かないお茶の水の病院にも、毎月通院していたといいます。

緑内障の宣告を受けたのはそのお茶の水の病院でした。


「お気の毒なことですが、日本にはこの状態を何とかして失明を避けることができるお医者様はいらっしゃらないと思います。

アメリカのボストンにでも行かれれば、おそらくは・・・」


60年代の庶民にとってアメリカに行くとなどいうことは、きっと今の私たちが世界一周をするのと同じくらい高価な旅だったんじゃないでしょうか?!

それに英語も全く話せない当時の人たちは、言葉にせよ勇気が必要なことにせよ、とにかくものすごーーーく分厚い壁にはばまれていたでしょうね!


エトナの最初の記憶にあるT大学病院で受けた手術は,おそらく失明をくい止めると言うよりは、緑内障の処置のために行われたのだと思います。


でも・・・母が妹を産むのはもうすぐです。